北条、武田、上杉、徳川と主家を変えた
藤田信吉ふじた のぶよし
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誕生 1559年(永禄2年)
生誕地
藤田重利(用土康邦)
 
幼名 弥六郎
用土信吉、藤田信吉、源心(出家名)、藤田重信
官名 能登守
近親など 兄:藤田重連
ゆかりの地  武蔵国 用土城
 上野国 沼田城
 陸奥国岩代 津川城
略歴 ●用土城主の二男
1559年 (1歳)
元の花園城主で、河越夜戦の後、北条家家臣となり武蔵国用土城主となっていた用土康邦(藤田重利)の二男として生まれる。

1568年 (10歳)
直属の主君で天神山城主の北条氏邦が、居城を鉢形城に移す。

●兄の死
1578年 (20歳)
家督を継ぎ沼田城将となっていた兄、用土(藤田)重連が、北条氏邦により毒殺される。
これにより、用土家の家督を相続、沼田城に入る。

●武田家
1580年 (22歳)
武田勝頼の家臣、真田昌幸の調略を受け、武田家に寝返る。

1581年 (23歳)
真田昌幸の配下となり、沼田城代に。

沼田城主、沼田景義に攻められるが、真田昌幸の助成によりこれを撃退。

1582年 (24歳)
主君武田勝頼織田信長に攻められ自害、武田家が滅亡。(天目山の戦

上野国は、信長重臣滝川一益の支配下に。

本能寺の変

滝川一益北条氏直に攻められ大敗し上野国を失う。(神流川の戦

●上杉家
これを機に、越後国上杉景勝を頼り家臣に。

吉江資賢の未亡人と結婚、越後国長島城主に。

1586年 (28歳)
主君景勝が豊臣秀吉の臣下につく。(越水の会)

1587年 (29歳)
新発田攻めで貢献。(新発田重家の乱の終結)

1590年 (32歳)
小田原城攻めでは、上杉家の先鋒として鉢形城八王子城を攻略するなど活躍。

1592年 (34歳)
文禄の役では、朝鮮に渡海。

1593年 (35歳)
兵に発病者が多く、帰国。

●会津
1598年 (40歳)
上杉家が会津など131万石に移封されると、会津、津川城主に。(1万1千石)

秀吉の死去後、主君景勝は反徳川家康派となるが、景勝の名代で徳川家康を訪れた後、これに異を唱えるように。

1600年 (42歳)
●出奔徳川家
家中から謀反を疑われ出奔、徳川家康を頼り、剃髪し源心と名乗る。

関ヶ原の戦

戦後、下野国西方藩主となり、藤田重信と改名。(1万5千石)

●失脚
1615年 (57歳)
大坂夏の陣では、榊原康勝の軍監を務めるが、指揮を誤り真田幸村の猛攻を受けることに。
これにより、戦後信濃国木曽に蟄居。

1616年 (58歳)
自害。
死没 1616年8月26日(元和2年7月14日) (享年58歳)
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