信長廃嫡を望んだ実母
土田御前どたごぜん
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誕生 ????年(????年)
生誕地  
土田秀久(異説あり)
 
幼名  
元服名  
官名  
近親など 夫:織田信秀
子:織田信長織田信行、織田秀孝、織田信包お市の方、お犬の方
ゆかりの地  尾張国 勝幡城
 尾張国 那古野城(後の名古屋城
 尾張国 古渡城 (現在の東本願寺名古屋別院)
 尾張国 末森城
 尾張国 清洲城
 近江国 安土城
 伊勢国 津城
略歴 出自は不詳。

●織田家へ
????年 (??歳)
清洲織田家(尾張国下四郡=の守護代・織田大和守家)の三奉行のひとりで、勝幡城主の織田信秀の側室に。

●那古野城
1532年 (??歳)
夫、織田信秀、正妻の実家でもある、主家の織田達勝と対立。
これにより、正妻に替わって第一婦人に。(推定)

織田信秀、今川氏豊から那古野城(後の名古屋城)を奪い居城に。

1534年 (??歳)
嫡男(二男)吉法師(織田信長)を出産。

1535年 (??歳)
織田信秀駿河国今川家と敵対関係に。

1539年 (??歳)
織田信秀、古渡城を築城し、居城に。

1548年 (??歳)
織田信長が、美濃国斎藤道三の娘、濃姫(帰蝶)と結婚。

1548年 (??歳)
織田信秀、末森城を築城し、居城に。

●夫の死
1551年 (??歳)
織田信秀が末森城で病没。子の織田信長が家督を相続するが、うつけ者の信長を嫌い那古野城へは移らず、二男の織田信行とともに末森城に残る。

1553年 (??歳)
信長の傅役の平手政秀が、信長を諫めて自害。

1555年 (??歳)
織田信長尾張国下四郡の守護代で、主筋の織田信友を攻め追放し、清洲城を手中にし居城に。

●長男と二男の確執
織田信長、弟の織田信行を擁立しようとした林通勝林美作(通具)、柴田勝家らに勝利。(稲生の戦
その際、織田信行の赦免を信長に申し出て許される。

1557年 (??歳)
織田信長が弟の織田信行を殺害。

その後清洲城へ移る。

1559年 (??歳)
織田信長岩倉城の戦で織田信賢を攻め追放し、尾張国を統一。

1560年 (??歳)
織田信長が、桶狭間の戦今川義元を討ちとる。

1563年 (??歳)
織田信長清洲城から小牧山城に居城を移す。

1567年 (??歳)
娘のお市の方が、近江国浅井長政の正妻に。

織田信長斎藤龍興を攻め美濃国を手中に。(稲葉山城攻め
井ノ口を岐阜と改名、稲葉山城を岐阜城と改名し、居城に。

1568年 (??歳)
織田信長足利義昭を奉じて上洛を果たす。(信長の上洛戦

(中略)

●本能寺の変
1582年 (??歳)
本能寺の変織田信長が自害した際は安土城にいたが、その後、孫織田信雄の元に移る。

●津
1590年 (??歳)
織田信雄が改易となると、子、伊勢国津城主の織田信包の元に移る。

1594年 (??歳)
死没。
死没 1594年2月26日(文禄3年1月7日) (享年??歳)
レクイエム うつけ者である長男の信長を嫌い、品行方正な二男の信行を溺愛したと言われる。