将軍義昭との対立を決定づけた信長の書状
殿中御掟でんちゅうおんおきて
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西暦 1570年
和暦 元亀元年1月
場所  山城国 二条御所(現在の二条城とは違います)
概要 織田信長は天下布武を目標に、足利義昭を将軍につかせ、義昭も我が父とまで信長を称えていたが、義昭が諸大名に合力を求める書状を出すなど権勢を振り回し始めると、信長はこれを諫めるために義昭にクレームを付けた。これが殿中御掟。9カ条からなる。

内容は、諸国へ書状を出す際は信長の添状をつけろといったような、将軍の権威を押さえ込むもうとするものであった。

この後も、信長朱印条書や条書といった、同様の諫め状も発行している。

これに激怒した義昭だが、信長に面と向かって反抗する実力はなかったことから、密かに敵対心を募らせていく。

やがて、本願寺の顕如甲斐国武田信玄越後国上杉謙信越前国朝倉義景などと語らい、信長包囲網を形成してゆく。
考察