最期の真相が不明な政宗の父
伊達輝宗だて てるむね
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1544年(天文13年)
生誕地 出羽国羽前 米沢
伊達晴宗
久保姫(岩城重隆の娘)
幼名  
元服名 伊達輝宗
彦太郎、総次郎
官名 従四位下、左京太夫
近親など 正室:義姫(最上義守の娘)
兄:岩城親隆
弟:留守政景、石川昭光、国分盛重など
子:伊達政宗など
ゆかりの地  出羽国羽前 米沢城
GOOGLE MAP 出羽国羽前 舘山城
略歴 ●伊達家の世子
1544年 (1歳)
陸奥国守護(奥州探題)で米沢城主、伊達晴宗の二男として生まれる。
(兄が岩城家の養子となっていたことから、世子となる)

1548年 (5歳)
天文の乱の結果、祖父の伊達稙宗が隠居、父の伊達晴宗が家督を相続。

1555年 (12歳)
元服。

1564年 (21歳)
義姫(最上義守の娘)と結婚。

父、伊達晴宗が隠居し家督を相続するが、実権は父がそのまま掌握。

1567年 (24歳)
嫡男、梵天丸(伊達政宗)誕生。

●家内粛清
1570年 (27歳)
家中の有力者、中野宗時と、その子牧野久仲を謀反の疑いにより追放、家中の実権を掌握。
(元亀の変)

相馬家の侵攻を受け、丸森城を奪われる。

1574年 (31歳)
留守家を継いでいた実弟、留守政景が、宮城郡の半伊達勢力を平定。

●戦いの日々
その後も、天文の乱以来の宿敵である、磐城の相馬家と敵対。

1578年 (35歳)
越後国で起こった御館の乱に介入、北条方について上杉景虎に味方。

1579年 (36歳)
相馬家対策のため、田村家と政略結婚を行う。(嫡男伊達政宗の正妻に田村清顕の娘を迎える)

1581年 (38歳)
越後国で起こった新発田重家の乱にも蘆名盛隆とともに介入、新発田重家に味方。

1583年 (40歳)
相馬家に奪われていた丸森城を攻略し、相馬家と和睦。

1584年 (41歳)
同盟者で会津黒川城主の蘆名盛隆が家臣に殺害されたことから、蘆名家に介入、盛隆の遺児亀王丸の後見人に。

●隠居と最期
奥州の兵乱がほぼ集結したことから隠居し、家督を子の伊達政宗に譲り、舘山城に移る。

1585年 (42歳)
伊達家と敵対した畠山義継に捕らえられ、最期は伊達政宗の銃撃により畠山義継とともに殺害される。(異説あり)
(粟之巣の変・高田原の変)
死没 1585年(天文13年)10月 (享年42歳)
レクイエム 奥州の兵乱をやっと集結させ、これからは越後への介入に集中するため隠居したと言われるが、子の政宗が好戦的であり、岩代の畠山家や大内家へ戦を仕掛けたことから平穏はすぐに破れた。

当然のごとく伊達家に対する他家からの不審感は高まり、常陸国の佐竹家の介入を招いてしまった。

政宗に家督を譲ったことを悔やんだに違いない。