伊達家から出奔した名将
伊達成実だて しげざね
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誕生 1568年(永禄11年)
生誕地 陸奥国岩代 信夫郡
伊達実元
伊達晴宗の娘
幼名 時宗丸
元服名 伊達藤五郎成実
藤五郎
官名 安房守
近親など 正室:亘理御前(亘理重宗の娘)
継室:岩城御前(二階堂盛義の娘)
養子:伊達宗実(伊達政宗の子)
ゆかりの地  陸奥国岩代 大森城
 陸奥国岩代 二本松城
 陸奥国磐城 角田城
 陸奥国磐城 亘理城
略歴 ●岩代
1568年 (1歳)
伊達家の一族で陸奥国岩代大森城主、伊達実元の子として生まれる。

その後、幼くして時宗の了山和尚に学ぶ。

1579年 (12歳)
元服。(烏帽子親は伊達輝宗

●家督相続
1584年 (17歳)
本家、伊達輝宗が隠居し、伊達政宗が家督を継ぐ。

この頃、父、伊達実元から家督を譲られる。

●人取橋
1585年 (18歳)
主君の伊達政宗伊達輝宗を止む無く見殺しにする。

人取橋の戦に参陣し、伊達政宗の退却戦の際奮闘し、政宗を逃がすなど貢献。

●大火傷
渋川城に在城中起こった火災で、右手に大火傷を負う。

●二本松
1586年 (19歳)
信夫郡、伊達郡に加え安達郡にも所領を拝領し、二本松城主に。(3万8千石)

亘理御前(亘理重宗の娘)と結婚。

1587年 (20歳)
佐竹義宣の実弟が、会津の宿敵、蘆名家当主に。(蘆名義広

1588年 (21歳)
郡山の戦で、蘆名義広の先鋒、大内定綱の調略に成功するなど貢献。

1589年 (22歳)
摺上原の戦でも貢献。

●秀吉への臣従と人質
1590年 (23歳)
豊臣秀吉小田原城攻めの際、黒川城(会津若松城)の留守居役に。

主君、伊達政宗豊臣秀吉に臣従。

伊達政宗が領内での一揆(葛西大崎一揆)を煽動した疑いをかけられると、秀吉の命により蒲生氏郷の元に人質として預けられる。

1591年 (24歳)
伊達政宗が米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など73万石に減封となると、伊具郡、柴田郡などへ転封され、角田城主に。

1592年 (25歳)
文禄の役(朝鮮出兵)に従軍。

●出奔
1595年 (28歳)
秀次事件の後、伊達家を出奔。(理由については諸説あり)

1600年 (33歳)
関ヶ原の戦

●帰参
その後、留守政景や片倉小十郎(景綱)の取り成しにより、伊達家に帰参。

1602年 (35歳)
亘理城主に。(約6千石)

1613年 (46歳)
加増により、1万石を拝領。

1614年 (47歳)
大久保長安事件。

大坂冬の陣に参陣。

1615年 (48歳)
大坂夏の陣に参陣。

1636年 (69歳)
伊達政宗死没。

伊達家を継いだ、伊達忠宗にも仕える。

●隠居
1646年 (79歳)
隠居し、養子の伊達宗実(伊達政宗の子)に家督を譲る。

死没。
死没 1646年7月16日(正方3年6月4日) (享年79歳)
レクイエム 一時伊達家を出奔した理由は諸説あるが、はっきりしていない。
@伊達家中での格付けが一新され、政宗の叔父、石川昭光の格下になったことへの不満説
A秀次事件の嫌疑を受けた政宗の身代わりになったという説
B政宗の特命を遂行するため出奔したという説、など。