米沢に本拠を移した奥州探題
伊達晴宗だて はるむね
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誕生 1519年(永正16年)
生誕地 陸奥国岩代
伊達植宗
蘆名盛高の娘
幼名 弥次郎
元服名 伊達晴宗
次郎
官名 従四位下、左京太夫
近親など 正室:久保姫(岩城重隆の娘)
弟:大崎義宣、伊達実元、玄蕃丸、伊達宗澄、桑折宗貞、葛西晴清、梁川宗清、村田宗殖、極楽院宗栄、亘理綱宗、亘理元宗、大有康甫など
子:岩城親隆、伊達輝宗留守政景、石川昭光、国分盛重など
ゆかりの地  陸奥国岩代 桑折西山城
 出羽国羽前 米沢城
 陸奥国岩代 杉目城(のちの福島城)
略歴 ●奥州探題家
1519年 (1歳)
陸奥国守護(奥州探題)で桑折西山城主、伊達植宗の嫡男として生まれる。

1533年 (15歳)
元服、将軍、足利義輝の偏諱を受け伊達晴宗と名乗る。

●天文の乱
1542年
父、伊達植宗が越後国守護上杉家へ養子を送り込もうとしたことから、家中が二つに割れ対立。(天文の乱

●家督・米沢
1548年 (30歳)
父、伊達稙宗を隠居させ、家督を相続。(天文の乱の終結)

出羽国羽前 米沢城に居城を移す。

天文の乱の戦後処理(家臣の統制など)に着手。

その後、岩城家、二階堂家、佐竹家などに子を送り込んで婚姻関係を結び、勢力挽回を行う。

1555年 (37歳)
奥州探題に任じられる。

この頃より、有力家臣、中野宗時や桑折景長らの専横が目立ち始める。

1563年 (45歳)
室町幕府より、奥州では蘆名家と伊達家だけが正式な大名として認められる。

1564年 (46歳)
名取郡において、相馬盛胤に敗北。

●隠居
これを受け、杉目城(のちの福島城)に隠居し、嫡男の伊達輝宗に家督を譲るが、実権は掌握し続ける。

磐瀬郡に浸出した蘆名盛氏と戦うが敗北。

1565年 (46歳)
丸森城にて、父、伊達植宗が死没。

これを受けて、娘婿の相馬盛胤が丸森城を支配。
これにより、再び相馬家と敵対。

●父子の確執
実権を掌握したままだったことから、子で当主の伊達輝宗とも対立するように。

1570年 (51歳)
伊達輝宗が、中野宗時、牧野久仲の父子を謀反の疑いで追放、これにより伊達家の実権は輝宗が掌握。(元亀の変)

その後、父子の確執も改善。

1578年 (59歳)
死没。
死没 1578年1月12日(天文5年12月5日) (享年59歳)
レクイエム