三度目の正直で攻略に成功した
伊勢長島攻め(第三次)
いせながしまぜめ(だいさんじ)
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西暦 1574年
和暦 天正2年7月〜9月
場所  伊勢国 伊勢長島城
略図
概要 ●三度目の正直
1571年の伊勢長島攻め(第一次)、1573年の伊勢長島攻め(第二次)と、なかなか攻略できない伊勢長島の一揆勢力に対して織田信長は、1574年7月、戦略を変更し水軍も動員しての第三次攻略戦を仕掛けた。

海からは北畠具豊(織田信雄)滝川一益九鬼嘉隆らの600艘からなる水軍を差し向けて川を埋めつくし、陸からは嫡男の織田信忠佐久間信盛蜂屋頼隆森長可ら総勢8万で一揆勢3万を攻め立てた。
水軍の使用は、海上からの兵糧ルートを断つ目的も含まれていた。

●攻略
まえの島砦、かろと島砦、市江島砦、鯏浦砦などが次々と落ち、一揆勢は伊勢長島城、屋長島砦、中江砦、篠橋砦、大鳥居砦の5箇所に分かれて籠り、3ヶ月間抵抗を続ける。

その後大鳥居砦、篠橋砦も落ち、一揆勢は残る伊勢長島城などへ逃げ込んだ。
しかし9月29日、兵糧が不足したことから長島城は降伏開城。

●徹底掃討
織田信長は開城すれば助命するとの約定を破り、一揆勢に対し鉄砲による掃討を行った。これは、これまでに弟の織田信興を初め多くの家臣を討たれたことに起因する。

ところがこれに激怒した一揆勢800ほどが再び蜂起、揖斐川河原での乱戦の中で信長の兄、織田信広や弟の織田秀成らの武将が討たれた。

信長は激怒し、残っていた2つの砦の周囲に幾重もの柵を作り逃亡不可能としてから、中にいた2万の一揆勢を全て焼き殺させた。

●伊勢長島陥落
こうして長島は完全に制圧され、長島城には滝川一益が入り、北伊勢5郡を任せられた。