北伊勢に孤立させただけに終わった
伊勢長島攻め(第二次)
いせながしまぜめ(だいにじ)
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西暦 1573年
和暦 天正元年9月
場所  伊勢国 伊勢長島城
GOOGLE MAP 伊勢国 西別所城
GOOGLE MAP 伊勢国 坂井城(このあたり)
 伊勢国 矢田城(このあたり)
略図
概要 ●二度目の長島攻め
1571年の伊勢長島攻め(第一次)に失敗したあと、織田信長比叡山焼き討ち武田信玄の死、足利義昭の追放(室町幕府滅亡)、浅井、朝倉討ちと、敵対勢力を次々と平定した。

その次に矛先を向けたのは、伊勢長島であった。
この地にある一向宗願証寺の証意が、北伊勢の国人らを煽動し、信長に敵対し始めていたためである。

信長は9月、柴田勝家佐久間信盛丹羽長秀蜂屋頼隆羽柴(豊臣)秀吉らとともに伊勢長島攻略へ向けて出陣。長島の西に点在する一揆方の諸城(西別所城、坂井城など)を攻略し東別所へ本陣を置いた。

●信長退却
これら織田軍の一連の進攻により、北伊勢の国人衆はことごとく降参。信長は残る伊勢長島を包囲する。しかし攻略に必要な大船の調達に失敗したことから、またもや退陣を強いられた。

信長は、矢田城に滝川一益を置いて長島の監視を行うこととし退却戦を開始。
退却路は、前回柴田勝家が苦戦に陥った山と川に挟まれた隘路となったが、またしても一揆勢の攻撃により苦戦を強いられたものの、殿軍(しんがり)の林新次郎隊の生命を投げ打っての働きにより、何とか切り抜けることができた。

翌年。三度信長は長島を攻め、三度目の正直で攻略に成功する。(伊勢長島攻め(第三次)