大内・毛利連合軍の長すぎた遠征
月山富田城の戦(第一次)
がっさんとだじょうのたたかい(だいいちじ)
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西暦 1542年〜1543年
和暦 天文11年〜天文12年
略図
関連する場所  出雲国 月山富田城
概要 ●尼子と大内
1540年、尼子家の新当主尼子晴久は、安芸国から出て勢いが盛んになってきた毛利元就吉田郡山城を攻めたが、大内義隆の援軍もあって逆に大敗(吉田郡山城の戦)してしまった。

翌1541年、元当主の尼子経久が死去したことを受け、大内義隆はこの好機とばかりに尼子家攻略に動き出した。

●大内・毛利連合軍
1542年1月大内義隆は重臣の陶隆房(晴賢)、杉重矩らとともに1万5千の大軍で出雲へ向けて出陣、途上、安芸国毛利元就も約5千を率いて大内軍に合流した。

●長すぎた遠征
大内・毛利の連合軍は途上の出雲国赤穴城攻略に手間取り、尼子家の本城月山富田城へは翌1543年の冬に到着、3月からの攻防では兵糧を襲われるなど苦戦を強いられた。

さらに出雲国三刀屋城主の三刀屋久扶や安芸国小倉山城主の吉川興経などが尼子方に寝返ったことから、5月になって止む無く兵を退いた。

●退却と養嗣子の溺死
大内義隆はこの長期遠征の失敗に加えて、退却の途中乗り船の転覆により養嗣子の大内晴持が溺死してしまうという悲劇を味わう。

さらにその後、石見銀山を尼子家に奪い返されるなど、大内家は衰退へ向かうことになる。
その他