四国制圧を夢みた優将
長宗我部元親ちょうそかべ もとちか
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誕生 1539年(天文8年)
生誕地 土佐国 岡豊
長宗我部国親
美濃斎藤氏
幼名 弥三郎
 
官名 従五位上宮内少輔、土佐守、侍従
近親など 弟:吉良親貞など
正妻:斎藤利三の妹
子:長宗我部信親、香川親和、津野親忠、長宗我部盛親など
ゆかりの地  土佐国 岡豊城
 阿波国 白地城
略歴 ●岡豊城
1539年 (1歳)
土佐国岡豊城主、長宗我部国親の長男として生まれる。

1560年 (22歳)
初陣。

●家督相続
父、国親の死により、家督を相続する。

1563年 (25歳)
美濃国の斎藤利三の娘と結婚。

●土佐平定
1574年 (36歳)
土佐国中村の一条兼定を、豊後国へ追放。

1575年 (37歳)
再起をはかり挙兵した一条兼定に勝利し、土佐国一国を平定。(四万十川の戦

その後は織田信長と誼を通じ、領土拡大を目指す。

●信長との対立
1582年 (44歳)
その台頭を快く思わない信長と対立するようになり、四国征伐の準備までされていたが、本能寺の変による信長の死で窮地をしのぐ。

中富川の戦で、信長に従っていた十河存保に勝利し、阿波国を配下に。

1583年 (45歳)
引田の戦で十河存保の援軍、仙石秀久に勝利。

十河城を攻め落とす。これにより讃岐国を平定。

●四国平定
1585年 (47歳)
伊予国も攻略し、この時点で四国全土をほぼ支配下に。

●秀吉に臣従
羽柴(豊臣)秀吉の10万による四国攻めに抵抗するが敗北し降伏、土佐国一国だけを安堵される。

1587年 (48歳)
秀吉の九州攻めに従軍。
この際の、戸次川の戦で嫡子信親が戦死。

1590年 (52歳)
秀吉の小田原城攻めに、水軍を率いて従軍。

1592年〜1597年 (54歳〜59歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)に参陣。

1597年頃 (59歳)
領国統治のための法典「長宗我部元親百箇条」を制定。

1599年 (61歳)
伏見で病没。
死没 1599年(慶長4年)7月 (享年61歳)
レクイエム 土佐国の小さな領主に過ぎなかったが、勇猛果敢な戦術でわずか10年で四国をほぼ平定した。

しかし折悪しく天下統一事業を進めていた信長・秀吉の全盛期と重なってしまい、その夢は長くは続かなかった。

嫡男の戦死後、養子に出していた二男や三男ではなく、四男の盛親を後継に指名したことから、相続問題が生じた。