四男ながら家督を継いだ
長宗我部盛親ちょうそかべ もりちか
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誕生 1575年(天正3年)
生誕地 土佐国
長宗我部元親
元親の正妻、斎藤利三の妹
幼名 千熊丸
通称 右衛門、大岩祐夢
官名 宮内少輔、土佐守など
近親など 兄:長宗我部信親、香川親和、津野親忠
ゆかりの地  土佐国 岡豊城
略歴 ●長宗我部家
1575年 (1歳)
土佐国国主で岡豊城主、長宗我部元親の四男として生まれる。

●家督相続
1587年 (13歳)
長兄、長宗我部信親が九州攻めの途上、戸次川の戦で戦死。

1588年 (14歳)
これにより、他家の養子となっていた二人の兄を差し置いて、長宗我部家の後継につく。
これは父、長宗我部元親の差配であった。

1590年 (16歳)
父とともに、豊臣秀吉小田原城攻めに水軍の将として参陣。下田城を攻略するなど功をたてる。

1592年〜1597年 (18歳〜23歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)にも父とともに参陣。

1599年 (25歳)
長宗我部元親の病没により、家督を相続。

●西軍
1600年 (26歳)
徳川家康の会津遠征に従軍しようとしたが、烏帽子親でもあった西軍の増田長盛の阻害にあい、止む無く西軍に与する。

徳川家康の部将、鳥居元忠の籠る伏見城攻め(伏見城の戦)にも参陣。

関ヶ原の戦では南宮山の東の栗原山に布陣するが、前面に陣取って動かなかった吉川広家にはばまれて戦闘に参加できず、西軍敗北後は土佐へ逃げ延びる。

●浪人
戦後は、親しかった井伊直政を介して謝罪するが、家臣の久武親直の讒言から兄の津野親忠を殺害、これが徳川家康の怒りを買い土佐を没収される。

その後、大岩祐夢と名を変え京都での浪人生活を送る。
寺子屋の師匠をしていたとも言われる。

●大坂の陣
1614年 (40歳)
豊臣秀頼の要請に応じ大坂城に入城し、徳川勢に対する。

豊臣方についた浪人衆の中でも、真田幸村後藤又兵衛毛利勝永明石全登とともに、大坂城五人衆と呼ばれる。

大坂冬の陣では目立った活躍はなし。

1615年 (41歳)
大坂夏の陣では、木村重成とともに大坂方の主力を率い藤堂高虎を破るなどの活躍を見せるが、敗色が濃厚となったことから再起をかけて逃亡。しかし途上徳川方に捕まり、二条城前に晒され、後に京都六条河原に磔となりその後斬首。
死没 1615年(元和元年)5月 (享年41歳)
レクイエム 捕らえられたあと、「自害もできない男だ」と蔑まれた際、「命と右手さえあれば、家康や秀忠をこのような目に合わせられたのだ」と応えたという。

「出家するので命だけは助けてほしい」と、最後の最後までねばったが、盛親の心中を察していた家康は許さなかった。