織田からきた嫁「市」を嫌った舅
浅井久政あざい ひさまさ
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誕生 1526年(大永6年)
生誕地 近江国 小谷城
浅井亮政
尼子氏
浅井久政
官名 下野守、宮内少輔
近親など 正妻:小野殿(井口経元の娘)
子:浅井長政、浅井政元、浅井政之、岡崎安休、浅井治政、阿久姫、大弐局(六角義実の正室)、京極マリア(京極高吉の正室)など
弟:浅井高政、浅井政弘、浅井秀政
妹:海津殿(田屋明政の正室)、近江の方(斎藤義龍の正室)
義兄:田屋明政など
ゆかりの地  近江国 小谷城
略歴
●近江
1526年 1歳 近江国北部の大名、浅井亮政の子として生まれる(六角家から養子にもらったという説もあり)
●家督相続
1542年 17歳 父、浅井亮政の死没により家督を相続
その後、六角家の勢力に押され、配下となる
●隠居
1559年 34歳 嫡男の浅井長政により隠居させられる
1560年 35歳 子の浅井長政が、初陣である野良田の戦六角(義賢)承禎を破り、北近江に独立。その際援助を受けた越前国朝倉義景と同盟関係に
    ●信長
1567年 42歳 美濃国を版図に入れた織田信長とも同盟し、信長の美貌の妹、お市の方浅井長政の正室に迎える
しかし、浅井家の後ろ盾であった越前国の朝倉氏と織田氏の関係が悪かったことから、結婚には反対でありお市の方にはことごとく辛く当たったといわれている
●信長への反旗
1570年 45歳 上洛に成功した織田信長が、越前国朝倉義景討伐に琵琶湖西岸を進行すると、以前からの朝倉氏との誼から信長攻めを主張、信長勢を後方から追跡
あわてた信長は急遽反転して京都へ退却。(金ヶ崎の退き口
その後体勢を立て直した織田信長徳川家康の連合軍と、姉川付近で戦うが敗北。(姉川の戦
1573年 48歳 小谷城の戦で織田勢に攻められ、自害
同じく浅井長政も自害し、浅井家は滅亡
レクイエム 家臣らのクーデターによって隠居させられた通り、暗愚な二代目という印象が強いが、領国経営にはなかなかの手腕を発揮したり、領内の土豪たちを次々に取り込んでいったことから考えると、暗愚ではなかった可能性が高い。
死没 1573年(天正元年)9月 (享年48歳)