湖北の堅城、山本山城主
阿閉貞征あつじ さだゆき
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誕生 1528年(享禄元年)
生誕地 近江国
 
 
万五郎(幼名)、阿閉貞秀、貞征、長之
官名 淡路守
近親など 子:阿閉貞大
ゆかりの地  近江国 山本山城
略歴
●北近江
1528年 1歳 北近江の国人、阿閉家に生まれる
●浅井家
1559年 32歳 近江国において、六角家と浅井家が対立
この頃小谷城浅井長政に従い、小谷城の支城、山本山城主に
1560年 33歳 野良田の戦で浅井家が六角家に勝利し、北近江に独立。浅井家は越前国朝倉義景と同盟関係に
1567年 40歳 浅井家が、美濃国を版図に入れた織田信長と同盟
主君の浅井長政が、織田信長の妹、お市の方を正室に迎える
●信長への反旗
1570年 43歳 金ヶ崎の退き口浅井長政織田信長を裏切り朝倉義景に味方)
織田信長、京都へ退却。(金ヶ崎の退き口
姉川の戦に参陣するが敗北
●寝返り
1573年 46歳 羽柴(豊臣)秀吉の誘降に応じ、織田信長に寝返る
織田信長に従い、越前国朝倉義景攻めに参陣。(一乗谷攻め
小谷城の戦で、浅井久政浅井長政が自害し滅亡
戦後は、北近江を拝領した羽柴(豊臣)秀吉の与力に
越前国に起こった一向一揆討伐に参陣
●本能寺の変
1582年 55歳 本能寺の変が起こると、明智光秀に味方し、羽柴(豊臣)秀吉長浜城を攻める
山崎の戦後、羽柴(豊臣)秀吉に山本山城を攻められ、嫡男の阿閉貞大らとともに討ち死に
レクイエム 信長への寝返りは浅井家滅亡の大きなきっかけとなった。
その後、秀吉の与力となるが、そりが合わなかった様子で、秀吉の中国攻めには参陣せず近江国に留まり信長の旗本となった。
死没 1582年7月7日(天正10年6月18日) (享年55歳)