松永弾正の讒言により兄から自害を命じられた
安宅冬康あたぎ ふゆやす
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誕生 1528年?(享禄元年?)
生誕地  
実父:三好元長、養父:安宅治興
 
千々世(幼名)、神太郎、安宅冬康、鴨冬、宗繁、一舟軒
官名 摂津守
近親など 兄:三好長慶三好実休(義賢)
弟:十河一存、野口冬長
子:安宅信康、安宅清康
ゆかりの地  淡路国 洲本城
略歴
●守護代家
1528年 1歳 管領細川晴元の家臣で、後の山城国五郡(愛宕・葛野・宇治・紀伊・乙訓)の守護代、三好元長の三男として生まれる
1532年 5歳 和泉国堺で、父三好元長が、対立していた同族の三好政長の讒言を受けた細川晴元の差し金により、本願寺の一向一揆に攻められ自害。この際、長兄の三好長慶は、堺衆の機転により本国の阿波国へ逃れる
1534年 7歳 長兄の三好長慶が幕臣として活躍しだす
●安宅家の養子
1536年 9歳 淡路国の海賊衆である安宅家の養子となり、洲本城主に
1539年 12歳 兄、三好長慶、亡父の河内国の遺領を取り戻すために大軍を率いて上洛。将軍足利義晴や管領細川晴元を近江に追う
兄、三好長慶摂津国越水城主に
1541年頃 14歳 兄、三好長慶が、祐筆松永久秀を重用する
兄、三好長慶、管領細川晴元の家臣という立場ながら、阿波国本国も含めた総兵力では畿内でも抜きん出た存在に
●管領家との対立
1548年 23歳 兄、三好長慶、父の実質的な仇である叔父の三好政長を追放しようとするが許されなかったことから、細川晴元と対立
●畿内制圧
1549年 24歳 江口の戦で、弟の十河一存が三好政長を攻め自害させる
これにより、将軍足利義晴、足利義輝父子と細川晴元を追い出し、細川氏綱を管領に就かせ、三好政権が確立される
1552年 27歳 兄、三好長慶、畿内の安定を狙って、近江国六角(義賢)承禎の斡旋により、足利義輝と和睦
1553年 28歳 兄、三好長慶足利義輝と対立し、義輝と細川晴元を攻め勝利。これにより畿内を平定
●勢力拡大
1557年 32歳 兄、三好長慶播磨国の東部と丹波国を平定
1558年 33歳 兄、三好長慶将軍足利義輝と和睦し、幕府の相判衆となり実権を握る
1559年 34歳 兄、三好長慶松永久秀に命じ大和国を平定させる
兄、三好長慶河内国守護の畠山高政を追放し、河内国を支配していた安見直政を攻めて勝利
1560年 35歳 畠山高政が安見直政と組んで敵対してきたことから、高政の居城、高屋城を攻め勝利。河内国を支配下に
●下り坂
1561年 36歳 細川晴元を普門寺城に幽閉
弟の十河一存が急死
1562年 37歳 細川晴元の子晴之を奉じた畠山高政六角(義賢)承禎らに攻められ、兄の三好実休(義賢)が戦死(久米田の戦
その後、兄、三好長慶の居城の飯盛山城を包囲されるが、教興寺の戦畠山高政六角(義賢)承禎らに勝利
●讒言
1564年 39歳 兄、三好長慶から謀反を疑われ、飯盛山城に呼び出され自害を命じられる
死没 1564年6月17日(永禄7年5月9日) (享年39歳)
レクイエム 謀反については、松永久秀の讒言であり、のちに冬康の無実を知った長慶は大変後悔したという。