松永弾正に暗殺された13代将軍
足利義輝あしかが よしてる
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画像  
誕生 1536年(天文5年)
生誕地  
足利義晴(12代将軍)
近衛尚通の娘
菊童丸、足利義輝
官名 従五位下、正五位下、左馬頭、従四位下、征夷大将軍、参議、左近衛中将、従三位、贈従一位左大臣
近親など 弟:足利義昭(15代将軍)
ゆかりの地 GOOGLE MAP 山城国 二条御所(旧二条城)
略歴
●将軍家
1536年 1歳 12代将軍、足利義晴の子として生まれる
●征夷大将軍
1546年 11歳 父、足利義晴から征夷大将軍職を譲られる(管領細川晴元と対立していたため、京都ではなく近江国坂本で任官)
その後細川晴元と和睦し、京都へ
●流れ公方
1549年 14歳 細川晴元を裏切って、細川氏綱(後に管領となる)を担いだ三好長慶に追われ、近江国へ落ちる
1552年 17歳 三好長慶と和睦して京都へ戻る
1553年 18歳 六角承禎の支援を受けて、再び三好長慶と対立するが敗北
近江国朽木元綱の元に逃れる
1558年 23歳 三好長慶と和睦し京都へ戻るが、幕府の実権は相判衆となった三好長慶に握られる
1564年 29歳 対立していた三好長慶の病死により、幕府の権力回復を計画したことから、長慶の家臣松永久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)と対立
1565年 30歳 二条御所(旧二条城)を松永久秀に急襲され、攻め討たれる。(永禄の変
死没 1565年(永禄8年)5月 (享年30歳)
レクイエム 辞世は「五月雨は露か涙か郭公我名をあげよ雲の上まで」

剣豪塚原ト伝に剣を習ったほどの武に長けた将軍であったが、室町幕府の権威は名ばかりとなって管領や地方の戦国大名が台頭してきた時代だっただけに、その武勇を活かしきれなかった。

阿波国から中央に進出してきていた三好家と対立と和睦を繰り返し、最後には三好家の実力者松永久秀に攻め討たれた。