京都に入れなかった14代将軍
足利義栄あしかが よしひで
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画像  
誕生 1538年(天文7年)
生誕地  
足利義雄(11代将軍、足利義澄の二男)
大内義興の娘
足利義親、足利義栄
官名 従五位下、左馬頭、征夷大将軍
近親など  
ゆかりの地  摂津国 越水城
 摂津国 普門寺
略歴
●将軍家一族
1538年 1歳 11代将軍足利義澄の二男で、元堺公方、足利義雄の子として阿波国で生まれる
●永禄の変
1565年 28歳 永禄の変で、従兄で13代将軍足利義輝が、松永久秀と三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)に暗殺される
その後、三好家から擁立され将軍候補に
松永久秀と三好三人衆が対立
●越水城
1566年 29歳 三好実休(義賢)の子、三好長治の家臣、三好康長、篠原長房房らに担がれ、摂津国越水城に入城
その後、普門寺に入る
1567年 30歳 従五位下、左馬頭となり足利義栄と改名。
●14代将軍
1568年 31歳 摂津国に居ながら、14代征夷大将軍
●阿波
織田信長が上洛してきたことから、三好勢とともに阿波国へ逃亡。(信長の上洛戦
病没
死没 1568年9月(永禄11年) (享年31歳)
レクイエム 死因は以前からの持病、腫れ物。
14代将軍とはなったが、生涯入洛できなかった。