近江桑実寺に幕府を移した12代将軍
足利義晴あしかが よしはる
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1511年4月2日(永正8年3月5日)
生誕地 近江国 水茎岡山城
足利義澄(11代将軍)
日野永俊の娘
亀王丸、義晴
官名 従五位下、正五位下、左馬頭、従四位下、征夷大将軍、従四位下、参議、左近衛中将、従三位、権大納言、右近衛大将、贈従一位左大臣
近親など 弟:随風、足利義維(堺公方・兄説あり)
正室:慶寿院(近衛尚通の娘)
側室:大舘常興の娘など
子:足利義輝(13代将軍)、足利義昭(15代将軍)など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 近江国 水茎岡山城
GOOGLE MAP 山城国 花の御所
GOOGLE MAP 近江国 興聖寺
GOOGLE MAP 近江国 桑実寺(観音寺城の中腹)
略歴
●近江六角家
1511年 1歳 六角家を頼って近江国に落ち延びていた元将軍、足利義澄の子として、水茎岡山城で生まれる
    父、足利義澄が死没
    ●播磨赤松家
1514年 4歳 播磨守護の赤松義村の庇護下に 
1518年 8歳  赤松義村が、重臣の浦上村宗らと敵対関係に
1521年 11歳  赤松義村に浦上攻めの旗頭として担がれるが、浦上村宗に敗北
    赤松義村、浦上村宗に捕縛されたのち暗殺される
●浦上家
浦上村宗の庇護下に
    ●上洛・元服・征夷大将軍
管領、細川高国の擁立要請を受け上洛、元服
    第12代征夷大将軍
1526年 16歳 細川高国が家臣の香西元盛を自害させたことから、内紛に発展
高国と対立していた細川晴元が、三好元長の支援を取り付け、さらには義晴の弟、足利義維を担ぎ出す
1527年 17歳 京都、桂川原の戦で細川高国が、京都三好勢や波多野稙通らに敗北
これを受け、細川晴元や三好元長が畿内を支配し始めたため、細川高国や武田元光を伴い近江国へ落ちる
1528年 18歳 朽木稙綱の元に身を寄せ、興聖寺に入る
1531年 21歳 細川高国、摂津国中嶋の戦で三好元長に敗戦
    細川高国、摂津国大物で三好元長、赤松政祐に敗れたのち捕らえられ、自害(大物崩れ)
1532年 22歳 三好元長が、対立した細川晴元と手を組んだ一向一揆に攻め討たれる(天文の乱)
    ●幕府移転
近江国六角家を頼り、観音寺城の中腹にある桑実寺に幕府を移す
1534年 24歳 六角定頼六角承禎の仲介を受け細川晴元と和睦、京都へ戻る
その後、細川晴元との対立と和睦を繰り返す
1541年 31歳 近江国坂本へ逃れる
1542年 32歳 帰京
1543年 33歳 再び近江国坂本へ逃れる
1546年 36歳 細川氏綱、畠山政国、遊佐長教らと通じて京都慈照寺(銀閣寺)に入り、細川晴元と戦う
    細川晴元の重臣、三好長慶やその弟、三好実休(義賢)、安宅冬康らが畿内に入ってきたことから劣勢に
1547年 37歳  将軍地蔵山城に入城し晴元らと争うが敗北し、近江国坂本へ逃れる(舎利寺の戦)
    ●大御所
子の足利義輝へから征夷大将軍職を譲り、大御所に
その後細川晴元と和睦し、京都へ戻る
1549年 39歳 細川晴元三好長慶が対立すると、晴元に味方
細川晴元が江口の戦で敗北したため、ともに近江国坂本へ逃れる
劣勢を挽回するために、京都慈照寺(銀閣寺)の裏山に築城開始(中尾城)
1550年 40歳 近江国穴太にて病没
死没 1550年5月20日(天文19年5月4日) (享年40歳)
レクイエム