信長に担がれた最後の室町将軍
足利義昭あしかが よしあき
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1537年(天文6年)11月
生誕地  
足利義晴(12代将軍)
慶寿院(近衛尚通の娘)
覚慶、足利義秋、足利義昭、昌山、道休、流れ公方
官名 従五位下、左馬頭、参議、左近衛中将、征夷大将軍、従三位、権大納言、准三后
近親など 兄:足利義輝(13代将軍)
ゆかりの地  大和国 興福寺
 山城国 本國寺
 山城国 二条新御所(旧二条城)
GOOGLE MAP 山城国 槙島城
略歴
●仏門
1537年 1歳 将軍家に生まれる
兄(足利義輝)があったことから幼少の頃から仏門に入り、覚慶と名乗る
●還俗
1565年 29歳 兄の13代将軍足利義輝松永久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)に暗殺されると、義昭も奈良に幽閉される(永禄の変
幕臣の細川幽斎(藤孝)和田惟政らに救出される
還俗し、義秋と名乗る
その後、将軍家再興を目指し、有力大名である近江国六角承禎越前国朝倉義景などを頼るが叶えられず
●征夷大将軍
1568年 32歳 明智光秀の働きを受け尾張国織田信長の庇護のもと、室町幕府15代征夷大将軍の座につく。(信長の上洛戦)
1569年 33歳 御座所としていた本國寺を三好三人衆に襲撃されるが、これを防ぐ。(本國寺の変
織田信長が将軍御座所として築いた二条新御所(旧二条城)に移る
●信長との対立
1570年 34歳 織田信長殿中御掟を突きつけられ、自分は信長の傀儡に過ぎないことに気づき、信長と対立
本願寺顕如甲斐国の武田、越後国の上杉、中国の毛利、越前国の朝倉ら有力大名に信長討伐令を出し包囲網を張らせる。(野田・福島の戦石山合戦志賀の陣
●室町幕府滅亡
1573年 37歳 武田信玄上洛戦途上病死。これにより包囲網は弱体化
2度に渡る挙兵を行うも、信長に捕らえられて河内国へ追放され、室町幕府が滅亡。(槙島の戦)
備後国の鞆(とも)に逃れ、毛利家を頼る
1592年頃 56歳 豊臣秀吉の側近(御伽衆)となり、山城国槙島に1万石を拝領
    朝鮮出兵の折は肥前国まで出陣するが渡海せず
1597年 61歳 大坂で死没
死没 1597年(慶長2年)8月 (享年61歳)
レクイエム 室町幕府最後の将軍。

常に天下掌握の野望を目指していたが、武力を持たなかったことから実力のある有力大名の助力に頼るしかなかった。

頼られる大名にもそれぞれの事情があり、将軍義昭の名を利用して天下掌握を図った織田信長、頼られて迷惑を蒙った朝倉義景毛利輝元など、その影響は大きかった。