鶴岡八幡宮別当から小弓公方となった
足利義明あしかが よしあき
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画像  
誕生 ????年(????年)
生誕地  
足利政氏
 
空然(こうねん)、宗済、足利義明
官名 右兵衛佐
近親など 兄:足利高元
弟:足利基頼など
子:足利義純、足利頼純、青岳尼、上杉憲寛の妻、旭山尼など
ゆかりの地  下総国 小弓城
略歴
●古河公方家
????年 1歳 第2代古河公方、足利政氏の二男として生まれる
●出家
その後出家し空然と名乗り、鎌倉の鶴岡八幡宮若宮別当に
1510年頃 ??歳 永正の乱で父、足利政氏と兄、足利高元が対立
その後下野国へ移り宗済と改名
●還俗
その後、還俗して足利義明を名乗る
●小弓公方
1517年頃 ??歳 実家である古河公方と対立する上総国真里谷城主、真理谷信清や安房国の里見義通に担がれ、下総国小弓城の千葉家家臣、原胤隆、原虎胤、高城胤吉らを攻めて勝利
小弓城に入り、小弓公方を名乗る
その後、真理谷信清と対立するように
●真理谷氏への介入
1534年 ??歳 真理谷信清が死没
1535年 ??歳 兄で古河公方の足利高元が死没、その子、足利晴氏が第4代古河公方
1537年頃 ??歳 真理谷家の内紛(上総錯乱)が起こると、当主の弟、真理谷信応に味方し、当主、真理谷信隆を居城の峰上城から追放、真理谷信応を当主に据える
これに対し、真理谷信隆は相模国北条氏綱や、甥で古河公方足利晴氏と結んで対立
    ●国府台合戦
1538年 ??歳 第一次国府台合戦が起こるが、小弓公方である自分に対し北条方が本気で挑んでは来ないだろうとの油断が基で戦死
死没 1538年10月29日(天文7年10月9日) (享年??歳)
レクイエム