腰の重い越前の大名
朝倉義景あさくら よしかげ
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誕生 1533年(天文2年)
生誕地 越前国
朝倉孝景
高徳院(若狭武田氏)
長夜叉(幼名)、朝倉義景、延景
官名 従四位下、左衛門督
近親など 正室:細川晴元の娘
継室:近衛前久の娘
子:阿君丸、愛王丸、四葩(本願寺教如と婚約)、娘(出家)、まつ(勝興寺顕幸の正室)、山浦景国室(上杉景勝の養女)、信景など
ゆかりの地  越前国 一乗谷館
略歴
●越前
1533年 1歳 越前国の大名、朝倉孝景(宗淳)の長男として生まれる
●家督相続
1548年 16歳 父孝景の死去により、10代目朝倉家当主に
1565年 33歳 松永久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)に暗殺された将軍足利義輝の弟、足利義昭に頼られるが、立たず
●信長との対立
その後足利義昭織田信長が対立したことから、信長と敵対することに
1570年 38歳 信長・徳川家康の連合軍に攻められるが、同盟していた北近江浅井長政の救援で事なきを得る。(金ヶ崎の退き口
再び浅井勢を攻めてきた織田信長徳川家康軍に対し自身では出陣せず、朝倉景鏡を派遣するが敗北。(姉川の戦
1573年 41歳 長政の要請を受け、重い腰をやっと上げ2万の軍勢をもって出陣するが、刀禰坂の戦で織田勢に大敗、越前国一乗谷館へ逃げ帰る
その後、一門衆筆頭の朝倉景鏡の裏切りにより、追い詰められ自害。(一乗谷攻め
レクイエム  
死没 1573年(天正元年)8月 (享年41歳)