朝倉三代に仕え繁栄を支えた
朝倉宗滴あさくら そうてき
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誕生 1477年(文明9年)
生誕地 越前国
朝倉孝景
温科氏
小太郎、朝倉教景、宗滴、金吾、照葉宗滴
官名 左衛門尉
近親など 正妻:朝倉景冬の娘
子:蒲庵古渓
養子:朝倉景紀(大甥・朝倉貞景の四男)
ゆかりの地  越前国 金ヶ崎城
略歴
●宗家の嫡男
1477年 1歳 越前国の大名、朝倉孝景(英林)の末子(八男)として生まれる。(八男であったが、嫡子とされた)
●父の死と兄の家督
1481年 4歳 父、朝倉孝景(英林)が死没
嫡男ではあったが4歳だったことから、家督は兄の朝倉氏景が相続
1486年 9歳 兄で当主の朝倉氏景が死没。その子、朝倉貞景が家督を相続
●謀反の誘い
1503年 26歳 敦賀城主で、妻の兄である朝倉景豊が、その父、朝倉景総とともに宗家への謀反を計画、加担を求められるが拒否し、宗家に密告、謀反を未遂に済ませる
この功により、敦賀郡司となり金ヶ崎城主に
●一向一揆
1506年 29歳 敵対してきた本願寺勢による越前国一向一揆が勃発、加賀国能登国の一揆と合わせた20万の兵に対し2万ほどの寡兵あったが勝利。(九頭竜川の戦)
1512年 35歳 甥で当主の朝倉貞景が死没。その子、朝倉孝景が家督を相続
その後も、朝倉家の事実上の当主として重きを成す
●若狭
1517年 40歳 家臣の逸見家の反乱を受けた若狭武田家の援軍に駆けつけ、反乱を平定
●近江
1525年 48歳 近江国六角定頼浅井亮政が敵対すると、小谷城に入って調停。これにより浅井家との親交が深まる
    ●京都
1527年 50歳 三好家に京都を追われた、11代将軍、足利義晴や管領、細川高国の要請を受けて上洛、三好家と戦う
1528年 51歳 京都から撤退
●加賀
1531年 54歳 加賀国における本願寺(一向一揆)の内紛に介入するが、味方の畠山家俊の戦士などにより撤兵。(享禄・天文の乱または大小一揆)
1548年 61歳 主君、朝倉孝景が死没。その子、朝倉義景が家督を相続
1555年 78歳 加賀国の一向一揆攻めに出陣、一日のうちに南郷城、津葉城、千足城を攻略
その後発病し、越前国に帰還
一乗谷館にて死没
レクイエム 名物茶入、九十九髪(九十九茄子)を所有していた。
死没 1555年9月23日(天文24年9月8日) (享年78歳)