茶人としても知られた久留米藩主
有馬豊氏ありま とようじ
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誕生 1569年5月18日(永禄12年5月3日)
生誕地  
有馬則頼
別所忠治の娘
万助(幼名)、豊氏
官名 従五位下、玄蕃頭、従四位下、侍従、従三位(贈)
近親など 正室:連姫(松平康直の娘(徳川家康の養女))
兄:有馬則氏
弟:有馬則次、有馬豊長
子:有馬忠頼、有馬信堅、有馬信次など
ゆかりの地  遠江国 横須賀城
 丹波国 福智山城(福知山城)
 筑後国 久留米城
略歴
●有馬家
1569年 1歳 播磨国満田城の元城主、有馬則頼の二男として生まれる
●秀吉
9歳 羽柴(豊臣)秀吉の中国攻めに、父、有馬則頼が従う
1579年 11歳 父、有馬則頼が播磨国淡河城主に
その後、父や兄(有馬則氏)同様に羽柴(豊臣)秀吉に従う
その後、渡瀬繁詮の家老を務める
1584年 16歳 兄、有馬則氏が、小牧・長久手の戦で戦死
1585年 17歳 渡瀬繁詮、秀吉の甥、豊臣秀次の付家老に
1590年 22歳 豊臣秀吉、天下統一
主君の渡瀬繁詮、遠江国横須賀城主に
1595年 27歳 秀次事件で、主君の渡瀬繁詮が豊臣秀次に連座し切腹
●横須賀城主
渡瀬繁詮の遺領を継ぎ、遠江国横須賀城主に(3万石)
1598年 30歳 豊臣秀吉死没
その後、徳川家康に接近
1600年 32歳 徳川家康の養女、連姫と結婚
関ヶ原の戦でも東軍に従い、岐阜城攻めなどに貢献
    丹波国に加増の上転封となり、福知山城主に(6万石)
1602年 34歳 父、有馬則頼が死没し、遺領の摂津国三田を加増される。(合計8万石)
1614年 46歳 大坂冬の陣に参陣
1615年 47歳 大坂夏の陣に参陣
●久留米藩主
1620年 52歳 筑後国久留米藩主となり、久留米城を居城に。(21万石)
1637年 69歳 島原の乱の平定戦に参陣
1642年 74歳 死没
死没 1642年11月22日(寛永19年9月30日) (享年74歳)
レクイエム 茶人、千利休の高弟のひとりで、利休七哲のひとりに数えられることもある。