秀吉に滅ぼされた最後の飛騨国司
姉小路頼綱あねがこうじ よりつな
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誕生 1540年(天文9年)
生誕地 飛騨国
姉小路良頼(三木良頼)
 
三木光頼、三木自綱、姉小路頼綱など
官名 左衛門佐、侍従、太宰大弐、左京大夫、大和守、従五位下、飛騨守など
近親など 正妻:斎藤道三の娘
弟:鍋山(三木)顕綱(鍋山家の養子へ)
子:三木信綱、三木秀綱、三木近綱など
ゆかりの地  飛騨国 桜洞城
 飛騨国 松倉城
 飛騨国 高堂城
略歴
●元国司家
1540年 1歳 飛騨国桜洞城主、三木良頼の子として生まれる
●姉小路
1558年 19歳 父、三木良頼が飛騨守を叙任され、飛騨国国司の性であった姉小路を名乗る。これを受けて、光頼も姉小路を名乗る
1572年 33歳 越後国上杉謙信の要請を受け越中国一向一揆攻めに参陣
●家督
父、姉小路良頼が死没。家督を相続
●謙信の死
1578年 39歳 上杉謙信死没
上杉家から離反し織田信長と結ぶ
松倉城を築城し、居城を移す
1579年 40歳 長男、三木信綱を謀反の疑いで殺害
●信長の死
1582年 43歳 本能寺の変で、同盟者織田信長が死没
その後、信長の家老だった越前国柴田勝家越中国佐々成政と結ぶ
飛騨国統一を図る、高原諏訪城主、江馬輝盛と戦い勝利。(八日町の戦)
江馬家の滅亡により、飛騨国最大勢力に
1583年 44歳 謀略により高山の広瀬城主、広瀬宗域を殺害
実弟で、鍋山家の養子となっていた三木顕綱を殺害
これらにより飛騨国を制圧
賤ヶ岳の戦柴田勝家羽柴(豊臣)秀吉に敗北し、北ノ庄城で自害
1585年 46歳 羽柴(豊臣)秀吉の命を受けた金森長近に攻められると、高堂城に籠城するが降伏(富山の役)
1587年 48歳 幽閉先の京都で死没
死没 1587年6月1日(天正15年4月25日) (享年48歳)
レクイエム 姉小路家は公家出身の家だが、三木氏は何ら関係のない飛騨の国人。
頼綱に至っては、長男や実弟を殺害するなど好戦的で、いかにも戦国武将らしい生き方がうかがえる。