半兵衛の舅で西美濃三人衆のひとり
安藤守就あんどう もりなり
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誕生 1503年(文亀3年)
生誕地 美濃国
安藤道足
 
安藤伊賀、伊賀守就、安東守就
官名 日向守、伊賀守、道足、無用斎
近親など 子:安藤定治、安藤右衛門佐、イネ(竹中半兵衛の正室)など、遠藤慶隆の正室
ゆかりの地  美濃国 北方城
略歴
●美濃
1503年 1歳 美濃国北方城主、安藤道足の子として生まれる
●西美濃三人衆
その後、美濃国の守護土岐家に仕える
稲葉一鉄氏家ト全とともに西美濃三人衆と呼ばれるように
1542年 40歳 美濃国の守護となった斎藤道三に仕える
1556年 54歳 斎藤道三を討った斎藤義龍に仕える
1561年 59歳 斎藤義龍が病死。斎藤龍興が斎藤家当主に
●稲葉山城占拠
1564年 62歳 娘婿の竹中半兵衛の稲葉山城占拠に加担し、斎藤龍興を諫める
●寝返り
1567年 65歳 織田信長の美濃攻めに際し、羽柴(豊臣)秀吉の誘降を受けて織田信長に寝返る
稲葉山城攻めにより、斎藤家が滅亡
1570年 70歳 姉川の戦で功をたてる
1574年 74歳 伊勢長島の一向一揆攻めで功をたてる
●追放
1580年 78歳 嫡男の安藤尚就が武田家に内通したとの疑いから、織田信長に追放される
1582年 80歳 本能寺の変後、尚就とともに一旦北方城を奪回するが、稲葉一鉄に攻められ自害
死没 1582年6月27日(天正10年6月8日) (享年80歳)
レクイエム 稲葉一鉄氏家ト全とともに、西美濃三人衆と称された。
信長の美濃攻略の成功には、この三人衆の内応が大きく影響した。

70歳の高齢で姉川の戦に参陣するなど、その猛将振りが目に見えるようである。