武田を見限った勝頼の従兄
穴山梅雪あなやま ばいせつ
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誕生 1541年(天文10年)
生誕地  
穴山信友
南松院(武田信虎の娘)
勝千代(幼名)、彦六郎、穴山信良、信君、武田左衛門、左衛門大夫、梅雪斎不白(出家名)、梅雪など
官名 玄蕃頭、伊豆守、陸奥守など
近親など 正妻:見性院(武田晴信の娘)
子:穴山信治など
ゆかりの地  甲斐国 下山城(現在の本国寺)
 駿河国 興津城(横山城)
 駿河国 江尻城
略歴
●武田の御親戚衆
1539年 1歳 甲斐武田家の一族、穴山信友の子として生まれる
1558年 20歳 父の隠居により、家督を相続
1561年 23歳 第四次川中島の戦に従軍
●興津城代
1568年 30歳 武田晴信(信玄)の駿河攻め(駿府攻め)の後、落城させた興津城の城代に
1572年 34歳 信玄の上洛戦三方ヶ原の戦に従軍
●信玄病没
1573年 35歳 信玄病死により、子の武田勝頼に仕える
●江尻城代
1575年 37歳 長篠の戦では、武田勝頼に退却を進言するが受け入れられず、戦の直前に戦場から離脱
戦死した山県昌景に替わって、江尻城代に
●裏切り
1582年 44歳 織田信長の侵攻(天目山の戦)を前に、徳川家康を通して織田家に臣従、徳川軍の甲斐国侵攻の案内役に
武田勝頼が天目山へ向かう途中自害
武田勝頼が天目山へ向かう途中自害
戦後は本領を安堵される
徳川家康に随従し、安土城織田信長を訪問し歓待を受ける
堺見物の際、本能寺の変で信長が討ち死にすると、徳川家康と別行動をとるが、山城国で落ち武者狩にあい殺害される
死没 1582年6月2日(天正10年6月21日) (享年44歳)
レクイエム 織田信長への寝返りは、武田家の存続を考えての考慮だったという説もある。
外交をおろそかにし、無謀な戦に明け暮れる武田家当主武田勝頼では武田家の存続は無理と見限っていたわけである。