内紛に耐えた安東愛季の二男
秋田実季あきた さねすえ
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誕生 1576年(天正4年)
生誕地 出羽国羽前
安東愛季
畠山清信の娘
藤太郎、下国安東太郎、安東実季、秋田実季、伊駒実季、宗実
官名 秋田城介、従五位下
近親など 正室:円光院(細川信良の娘)
側室:瑞峯院
子:秋田俊季、秋田季次、秋田季信、秋田季長、秋田季則
ゆかりの地  出羽国羽後 檜山城
 出羽国羽後 土崎湊城
略歴
●檜山安東家二男
1576年 1歳 出羽国羽前北部の領主で檜山城安東愛季の二男として生まれる
1577年 2歳  父が、居城を男鹿半島の脇本城に移す
●安東家統一
1579年 4歳 父が、湊安東家と檜山安東家を統一
1582年 7歳 父が、出羽国羽後北部一帯を平定し、秋田城介にちなみ秋田氏を名乗る
1583年 8歳  兄で檜山城主の秋田業季が病没
その後、父が、羽柴(豊臣)秀吉へ貢物を送り、誼を通じる
●湊合戦
1587年 12歳 父が、角館城主、戸沢盛安との戦の最中に病死し家督を相続
これに不満を持った従兄の豊島(安東)通季が、戸沢家、小野寺家、南部家などの後ろ盾を得て反乱を起こす
1589年 14歳 豊島(安東)通季を攻めるが敗北
豊島(安東)通季に檜山城を攻められるが、5ヶ月間の籠城に耐え勝利。(湊合戦)
由利郡支配を狙う小野寺義道や、その隙をついて比内へ侵入してきた南部信直とも抗争
1590年 15歳 陸奥で独立を狙う津軽為信と結び、南部信直を比内から追う
●奥州仕置
豊臣秀吉奥州仕置では、湊合戦が惣無事令違反と指摘されるが弁明に成功。
旧領の3分に2に当たる、秋田、檜山、比内、豊島など5万2千石を安堵され、太閤蔵入地となった2万6千石の代官にも任命される
秋田氏を名乗り、秋田城介を自任
1591年 16歳 九戸政実の乱の討伐に参陣
●朝鮮出兵
1592年 17歳 文禄の役に参陣
1600年 25歳 関ヶ原の戦では、徳川家康の東軍につき小野寺義道攻めを行うが、実際には小野寺家と通じていたとの讒言を受けるものの、弁明に成功
    ●常陸
1602年 27歳 常陸国宍戸へ減封の上、転封される。(5万石)
1611年 36歳 自称してきた秋田城介を正式に拝命し、従五位下に
1614年 39歳 大坂冬の陣に参陣するが、大坂方先鋒隊と戦い大敗
1615年 40歳 大坂夏の陣に参陣
    ●蟄居
1630年 55歳 領内への圧政を咎められ失脚、伊勢国朝熊へ蟄居
    家督は嫡男、秋田俊季が継ぎ、陸奥国磐城三春へ転封。(5万5千石)
1660年 84歳 死没
死没 1660年1月11日(万治2年11月29日) (享年84歳)
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