琵琶湖渡りで有名な明智左馬助
明智秀満あけち ひでみつ
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誕生 1536年 (天文5年)
生誕地  
実父:三宅秀朝(?)、義父:明智光秀
 
三宅弥平次、光春、光遠、秀俊、光俊、光昌、明智秀満、左馬助
官名  
近親など 正妻:明智光秀の娘(元、荒木村次の妻)
子:三宅重利
ゆかりの地  近江国 坂本城
 丹波国 福智山城(福知山城)
略歴
●明智家家臣
1536年 1歳 美濃国明知城主、明智光秀の家臣、三宅秀朝の子として生まれる
その後、父とともに明智光秀に仕える
1556年 21歳 主君明智光秀が、斎藤義龍明知城を攻められ浪人となる
●朝倉家
その後、明智光秀越前国朝倉義景に仕える
●織田家
1568年 33歳 明智光秀朝倉義景を見限り、織田信長に仕える
1572年頃 37歳 明智光秀近江国坂本城主に
1577年 42歳 明智光秀が、織田信長から丹波方面の攻略を命じられる
1579年 44歳 明智光秀が、丹波国、八上城の波多野秀治・秀尚兄弟を攻め落城させる
明智光秀とともに、信長に背いた荒木村重松永久秀らの討伐に貢献
明智光秀丹波国一国を与えられる
この頃、荒木家から戻ってきた明智光秀の娘と結婚し、明智姓を名乗るように
明智光秀丹波国細川忠興大和国筒井順慶らを指揮下に置き、織田家の近畿方面司令官となる
1581年 46歳 丹波国福智山城代に
●本能寺
1582年 明智光秀に従い、織田信長のいる本能寺を急襲。(本能寺の変
その後、安土城に入る
山崎の戦では、光秀の後詰めに安土城から出陣するが、琵琶湖打出浜で堀秀政と戦い大敗
明智光秀が落人狩により死没
坂本城に戻り、自分の妻(明智光秀の娘)と、光秀の妻子を刺し殺してから、城に火を放ち自害
死没 1582年7月4日(天正10年6月15日) 享年47歳
レクイエム 光秀の死を知ったあと坂本城へ戻る際、湖岸は秀吉勢に制圧されてしまっていたため、大津から唐崎までの湖上を、馬で渡ったという逸話(明智左馬助の湖水渡り)が残っている。

坂本龍馬の祖先と言われている。

また、坂本城から逃げ切り出家し天海を名乗り、晩年に徳川家康に仕えたという説もある。