関ヶ原での寝返りが認知されなかった
赤座直保あかざ なおやす
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誕生 ????年(????年)
生誕地 越前国
赤座直則
 
小法師(幼名)、久兵衛、吉家、直保
官名 従五位下、備後守
近親など 子:永原孝治
ゆかりの地 GOOGLE MAP 加賀国 松任城
略歴
●越前
????年 1歳 越前国朝倉家家臣、赤座直則の子として生まれる
●朝倉家の滅亡
1573年 ??歳 織田信長の朝倉家攻めの際寝返り、赤座家は戦後本領を安堵される
戦後越前国守護代となった前波吉継の支配下に
1574年 ??歳 前波吉継一向一揆や、朝倉家の旧臣、富田長繁に攻められ討ち死に
替わって越前国を任された柴田勝家の支配下に
●父の死
1582年 ??歳 本能寺の変で、信長に同道していた父が討ち死に。これにより家督を相続
羽柴(豊臣)秀吉の臣下に
1583年 ??歳 賤ヶ岳の戦に参陣
1584年 ??歳 小牧・長久手の戦に参陣
1590年 ??歳 小田原城攻めでは、忍城攻めなどに参陣
●大名
越前国今庄2万石を拝領し大名に
従五位下、備後守に叙任
●関ヶ原
1600年 ??歳 関ヶ原の戦では、西軍の大谷吉継に従い松尾山麓に陣を敷くが、小早川秀秋が東軍に寝返ると、脇坂安治小川祐忠朽木元綱とともにこれに呼応し東軍の勝利に貢献
しかし、寝返りを事前に伝えていなかったとの理由により、戦後所領を没収される
その後、加賀国前田家の家臣となり、松任城代に(7千石)
1606年 ??歳 越中国大門川の氾濫の検分の際、濁流の中に落馬し落命
レクイエム 越前朝倉家臣ではなく、尾張織田家臣だったという説もある。

推定ではあるが、赤座直則という同性同名の武士が、織田家臣、朝倉家臣として存在し、それが混乱を招いているのではないだろうか?
死没 1606年(慶長11年) (享年??歳)