宇喜多秀家の右腕
明石全登あかし てるずみ
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誕生 ????年(????年)
生誕地 備前国
明石景親
 
景盛、全登、掃部、ジョアン(洗礼名)
官名 掃部頭
近親など 正妻:宇喜多直家の娘
子:明石景行など
ゆかりの地  備前国 保木城
 摂津国 大坂城
略歴
●保木城
????年 1歳 宇喜多直家の家臣で備前国保木城主、明石景親の子として生まれる
その後、宇喜多家に仕える
熱心なキリシタンとなり、屋敷内に宣教師を住まわせる
●日本二十六聖人
1597年 ??歳 日本二十六聖人が備前領を通過する際、これを丁重に扱う
●執政
1597年 ??歳 宇喜多騒動が起こると、宇喜多秀家の執政に
騒動後1年で、宇喜多家の財政建て直しに成功
●関ヶ原
1600年 ??歳 関ヶ原の戦では西軍についた宇喜多秀家の先鋒として、東軍の福島正則軍と互角の勝負を行うも、西軍の敗戦により、戦後宇喜多家は改易
●浪人
これにともない浪人
母の伝を使い、同じキリシタンである黒田官兵衛の庇護を受ける
1604年 ??歳 ??歳
黒田官兵衛死没。子の黒田長政がキリスト教を禁止
これにより、柳川の田中忠政の庇護下に
1606年 ??歳 旧主、宇喜多秀家、八丈島へ流罪
●五人衆
1614年 ??歳 大坂冬の陣では、豊臣方として大坂城に入城、長宗我部盛親後藤又兵衛毛利勝永真田幸村らとともに五人衆と呼ばれる
1615年 ??歳 大坂夏の陣では、<・href="matudaira-tadanao.html" target="_blank">松平忠直と戦い敗北。その後の消息は不明
レクイエム 大坂の陣後の消息については諸説あるが、伊達政宗の庇護を受け、その後詮索が厳しくなると逃亡し津軽信牧の庇護を受けたという説が有力。
死没 ????年(????年) (享年??歳)