室町幕府四職の銘家の末裔
赤松義祐あかまつ よしすけ
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誕生 1537年(天文6年)
生誕地 播磨国
赤松晴政
 
道祖松丸(幼名)、次郎、義祐
官名 出羽守、上総介、左京大夫、民部少輔
近親など 子:赤松則房など
ゆかりの地  播磨国 置塩城
略歴
●守護家
1537年 1歳 播磨国備前国美作国の守護で置塩城主、赤松晴政の子として生まれる
●父の追放と分家との対立
1558年 22歳 家臣の浦上政宗とともに、父、赤松晴政を、分家で龍野城主の赤松政秀の元に追放し、当主に
これにより、龍野赤松家の赤松政秀と敵対
1565年 29歳 父、赤松晴政が死没したため、赤松政秀と和睦
●危機
1568年頃 32歳 三好三人衆と結んだ別所安治が、播磨国東部に台頭
龍野赤松家の赤松政秀が本家に無断で将軍、足利義秋(義昭)に接近したことから再び対立
備前国浦上宗景に龍野攻めを要請
赤松政秀が将軍、足利義秋(義昭)に援助を求め、義秋の命を受けた織田信長が派遣した池田勝正や、別所安治、別所重棟、明石祐行ら播磨国国人たちの攻勢を受ける
宇喜多直家が謀反を起こしたため、浦上宗景備前国へ帰還してしまい、危機を迎える
●小寺家との同盟
御着城主の小寺政職と結び、その家老、黒田職隆・黒田官兵衛父子が、青山の戦とその後の土器山の戦で赤松政秀に大勝したことから危機を逃れる
赤松政秀が降伏してくる
●隠居
1570年 34歳 隠居し、子の赤松則房に家督を譲る
1576年 40歳 西から進出してきた毛利家と、東から進出してきた織田信長の部将羽柴(豊臣)秀吉から誘降を持ちかけられるが、小寺政職らとともに織田家につくことを決定
死没
レクイエム 父を追放した時点で、名実ともに守護ではなくなったと思われる。
死没 1576年3月15日(天正4年2月15日) (享年40歳)