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土佐藩とさはん
画像
土佐国
藩庁 浦戸城、高知城
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立藩 1601年(慶長6年)
外様
略歴
西暦 出来事 石高  藩主
1601年 山内一豊、土佐国主となり浦戸城主に(立藩) 20万2千石 山内一豊
1603年 山内一豊河内山城(高知城)を築城し移る
1605年 山内一豊が隠居
甥で養嗣子となっていた山内忠義が藩主に 山内忠義
1610年 城の名を高知城と改名
1612年 藩内法令75条を制定
1631年 野中兼山を重用し、藩政改革に着手
1656年 山内忠義が隠居
子の山内忠豊が藩主に 山内忠豊
1663年 野中兼山が失脚(寛文の改替)
1669年 山内忠豊が隠居
山内豊昌が藩主に 山内豊昌
1681年 地方知行制から蔵米支給制に変更(年々の年貢を平均して徴収する制度)
1689年 支藩の中村藩が改易に   
1690年 元禄大定目を制定
1700年 山内豊昌が病死
元、旗本の分家から婿養子となっていた山内豊房が藩主に 山内豊房
山内豊房、将軍、徳川綱吉にお目見え
1706年 山内豊房が死没
弟の山内豊隆が藩主に 山内豊隆
その後山内豊隆は、兄が登用した山内規重、谷秦山、深尾重方などを失脚させる
1707年 宝永地震により、領内の1800人強が死没
その後藩政改革(宝永の改革)を行うが、機能せず
1720年 山内豊隆が死没
次男の山内豊常が藩主に 山内豊常
その後、父が失脚させた山内規重を再登用
1725年 山内豊常が死没
子がなかったため、山内規重の子、山内豊敷(重固)が藩主に 山内豊敷
山内豊敷、将軍、徳川吉宗にお目見え
1727年 火災により高知城が消失
1732年 害虫により凶作に
1733年 藩政改革を開始
1759年 藩校、教授館を創設
1767年 山内豊敷が死没
四男の山内豊雍が藩主に 山内豊雍 
1780年 一族の旗本、山内豊産に1万石を与える(土佐新田藩)   
1782年 天明の大飢饉
1787年 谷真潮、尾池春水、久徳直利を登用し、藩政改革を開始(天明の改革)
1789年 山内豊雍が死没
長男、山内豊策が藩主に 山内豊策
1797年 高村退吾殺害事件(郷士の身分制度に端を発する事件)
1808年 山内豊策が隠居
長男の山内豊興が藩主に 山内豊興
1809年 山内豊興が病没
異母弟の山内豊資が藩主に 山内豊資
1833年 天保の大飢饉
1839年 藩政改革のため、倹約令を発布
1841年 藩主親政を宣言
1843年 山内豊資が隠居
長男の山内豊熈が藩主に 山内豊熈
その後、心学者の馬淵嘉平を重用し、藩政改革を開始
心学は幕府により禁制となっていたことから、馬淵嘉平が保守派からの弾圧を受け投獄される
1848年 山内豊熈が死没
弟の山内豊惇が藩主に 山内豊惇
12日後、山内豊惇が死没
嗣子がなかったことから、従弟で山内南家のの山内豊信(容堂)が藩主に 山内豊信(容堂)
その後、革新派、新おこぜ組の吉田東洋を重用、西洋軍備採用、海防強化、財政改革、藩士の長崎遊学、身分制度改革、文武官設立など藩政改革を行う
1854年 吉田東洋、旗本の松下嘉兵衛との諍いから失脚
1857年 吉田東洋を再び登用
吉田東洋が、後藤象二郎、福岡孝弟らを起用
その後、山内豊信(容堂)は、交流のあった松平春嶽(福井藩主)、伊達宗城(宇和島藩主)、島津斉彬(薩摩藩主)とともに幕末の四賢侯とよばれるように
幕末の四賢侯、老中阿部正弘に対し幕政改革を提案
老中阿部正弘が死没すると、山内豊信(容堂)は一橋派として、大老となった南紀派の井伊直弼らと将軍継嗣問題で対立
1858年 安政の大獄により、一橋派は劣勢に
1859年 山内豊信(容堂)が隠居し忍堂(のちに容堂)と名乗る
山内豊惇の弟、山内豊範が藩主に 山内豊範
山内容堂(豊信)、幕府により謹慎処分に
1860年 桜田門外の変で、井伊直弼が暗殺される
その後、尊王攘夷運動が盛んに
武市瑞山ら土佐勤王党(尊王攘夷派)が公武合体派の吉田東洋と対立
1862年 土佐勤王党が、吉田東洋を暗殺し土佐藩は尊王攘夷に傾く
1863年 山内容堂が謹慎を解かれ、藩政に復帰
山内容堂、土佐勤王党の弾圧を開始
1865年 土佐勤王党の武市瑞山が切腹処分に。これにより土佐勤王党が瓦解
1867年 吉田東洋の暗殺前に脱藩していた坂本龍馬、中岡慎太郎、土方久元らの仲介で薩摩藩との武力討幕を目標とする薩土密約が締結される
薩土密約とは別に、大久保利通、西郷隆盛と土佐藩の後藤象二郎、福岡孝弟、寺村左膳、真辺栄三郎により、武力討幕ではなく大政奉還による王政復古を目標とした薩土盟約が締結される
その後2か月半ほどで薩土盟約が瓦解、土佐藩は武力討幕に傾く
後藤象二郎が、政権を朝廷に返上することや、坂本龍馬が提案した船中八策を自案として山内容堂に提出
山内容堂、これを受け入れ、老中、板倉勝静を通じ、将軍、徳川慶喜に建白書を提出
大政奉還
1868年 鳥羽・伏見の戦(戊辰戦争開始)では、土佐兵は官軍に味方
1871年 廃藩置県