館林藩主から将軍となった犬公方
徳川綱吉とくがわ つなよし
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誕生 1646年2月23日(正保3年1月8日)
生誕地 江戸城
先祖など 徳川家康(曾祖父)、徳川秀忠(祖父)
実父:徳川家光(3代将軍)、養父:徳川家綱(実兄)
玉(北小路宗正の娘・桂昌院)
徳松(幼名)、松平綱吉、徳川綱吉、館林宰相、犬公方
官名 従四位下、右近衛中将兼右馬頭、正三位、参議、従二位、権大納言、正二位、内大臣、右近衛大将、征夷大将軍、右大臣、贈正一位、太政大臣
藩職 上野国 館林藩主
幕職 第五代征夷大将軍
近親など 姉:千代姫(霊仙院)(徳川光友の正室)
兄:徳川家綱、亀松、徳川綱重
弟:鶴松
正室:鷹司信子(鷹司教平の娘)
側室:瑞春院(堀田将監の娘)、寿光院(清閑寺煕房の娘)、清心院(豊岡有尚の娘・日野弘資の養女)
子:鶴姫(徳川綱教の正室)、徳松(早世)、養子:家宣 (甥(兄・綱重の子)、八重姫(徳川吉孚の正室)、喜知姫(徳川綱誠の娘)、松姫(前田吉徳の正室)、竹姫(島津継豊の継室)
猶子:尊統法親王
ゆかりの地 GOOGLE MAP 上野国 館林城
GOOGLE MAP 武蔵国 江戸城
略歴
●家光の四男
1646年 1歳 3代将軍、徳川家光の四男として江戸城で生まれる
1651年 6歳 5ヶ国の中から15万石を拝領
    父が死没、兄の徳川家綱が4代将軍に
1653年 8歳 元服し、松平綱吉と名乗る
1657年 12歳 明暦の大火により竹橋の屋敷が消失
神田御殿へ移る
●館林藩主
1661年 16歳 上野国館林藩主に(25万石)
正三位、参議に叙任され、館林宰相と呼ばれるように
この頃、徳川姓を名乗る
1670年 25歳 牧野成貞が家老に
●将軍
1680年 35歳 兄で将軍の徳川家綱に子がなかったことから、その養嗣子となり江戸城二の丸へ移る
徳川家綱が死没
5代将軍に
酒井忠清の大老職を解き、堀田正俊を大老に就ける
越後騒動(高田藩の継承問題)を再裁定
幕府の会計監査を行う勘定吟味役を設置
牧野成貞を側用人に
1683年 38歳  嫡男の徳松が5歳で早世 
1684年 39歳 大老、堀田正俊、若年寄の稲葉正休に刺殺される
その後は、側用人の牧野成貞や柳沢吉保を重用するように
    ●生類憐みの令
1685年 40歳 この頃より、生類憐み政策を開始(生類憐みの令)
1688年 43歳 柳沢吉保を側用人に
1695年 50歳 荻原重秀の献策を受け、貨幣改鋳(元禄金・元禄銀)を実施するが逆効果に
1701年 56歳  松の廊下事件を起こした浅野長矩を、即日切腹処分に 
1702年 57歳 母、桂昌院に従一位の官位を得る
1703年 58歳  赤穂浪士の討ち入り(赤穂事件)
1704年 59歳 兄、徳川綱重の子で甲府徳川家に入っていた徳川綱豊(家宣)を養嗣子とし、次期将軍に
1705年 60歳  柳沢吉保大老格に
1707年 62歳 宝永大噴火(富士山)
1709年 64歳 病没
死没 1709年2月19日(宝永6年1月10日) (享年64歳)
レクイエム 生類憐み政策は、子の徳松が5歳で早世したことが影響したという説が有力。

母が帰依していた憎、隆光の言を容れたいう通説があるが、異論が多い。