幕府の基礎を作った第三代将軍
徳川家光とくがわ いえみつ
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誕生 1604年8月12日(慶長9年7月17日)
生誕地 江戸城
先祖など 徳川家康(祖父)
徳川秀忠(2代将軍)
於江与の方
竹千代(幼名)、徳川家光
官名 正三位、従二位、権大納言、右近衛大将、右馬寮御監、正二位、内大臣、征夷大将軍、従一位、左大臣、左近衛大将、贈正一位太政大臣
藩職  
幕職 第三代征夷大将軍
近親など 姉:豊臣完子(九条幸家の正室)、千姫豊臣秀頼の正室・天樹院)、天徳院(前田利常の正室)、天崇院(松平忠直の正室)、興安院、
兄:長丸
弟:徳川忠長、保科正之など
妹:東福門院(後水尾天皇の中宮)
正室:鷹司孝子(鷹司信房の娘)
側室:自証院、宝樹院、順性院、永光院、桂昌院、定光院、芳心院、まさ
子:千代姫(徳川光友の正室)、徳川家綱(第4代将軍)、亀松、綱重、徳川綱吉(第5代将軍)、鶴松
ゆかりの地 GOOGLE MAP 武蔵国 江戸城
略歴
●秀忠の嫡男
1604年 1歳 2代将軍、徳川秀忠の二男として江戸城で生まれる
明智光秀の家老、斎藤利三の娘、福(春日局)が乳母に
兄、長丸が早世していたことから、嫡男として育てられる
1605年 2歳 父、徳川秀忠が第2代将軍に
1606年 3歳 弟、国松(徳川忠長)が誕生
●廃嫡の危機
その後、父母が弟の国松を寵愛したことから、廃嫡されそうになる
乳母の春日局が、駿府の大御所、徳川家康に直訴したことら廃嫡を免れる(通説)
1615年 12歳 大坂夏の陣で豊臣家が滅亡、姉で豊臣秀頼の正室だった千姫江戸城に戻る
酒井忠利、内藤清次、青山忠俊が傅役に
1616年 13歳  祖父で大御所の徳川家康が死没
1617年 14歳 西の丸へ移る
1620年 17歳 元服し、家光と名乗る
●将軍
1623年 20歳 父が隠居し大御所となり、家光は第3代将軍に
鷹司信房の娘、孝子と結婚
その後も、大御所の父、徳川秀忠が実験を握ったことから二元政治に
●大御所の死
1632年 29歳 父、徳川秀忠が死没し、二元政治が解消される
駿河大納言事件に連座した熊本藩の加藤忠広を改易に
1633年 30歳 福岡藩の黒田騒動が起こると、自ら裁定
その後、老中・若年寄・奉行・大目付の制を定める
1634年 31歳  30万の大軍勢で上洛 
1635年 32歳 武家諸法度と改訂し、参勤交代制度を定める
この頃、対外貿易に関する統制を強化
1636年 33歳 ポルトガル人を長崎の出島に隔離
1637年 34歳 島原の乱を平定
1639年 36歳 ポルトガル人を追放(第五次鎖国令)
1641年 38歳 オランダ商館を出島に移す(鎖国完成)
1642年 39歳 寛永の大飢饉
1644年 41歳 全国の大名に郷帳、国絵図(正保国絵図)城絵図(正保城絵図)の作成を命じる
田畑永代売買禁止令を定める
●病
1650年 47歳 病を得る
1651年 48歳 死没
死没 1651年6月8日(慶安4年4月20日) (享年64歳)
レクイエム