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薩摩藩さつまはん
画像
薩摩国
藩庁 鹿児島城
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立藩 1600年(慶長5年)
外様
略歴
西暦 出来事 石高  藩主
1602年 関ヶ原の戦後許され、島津忠常(家久)が当主に(立藩) 56万石 島津家久
1609年 琉球王国を攻めて服属させる(琉球侵攻) 68万石
  奄美諸島を直轄地に
  その後、加増などにより77万石に 77万石
1638年 島津家久が死没
子の島津光久が藩主に 島津光久
1640年 長野金山の開発を開始
1673年 嫡子の島津綱久が死没   
1687年 島津光久が隠居
孫の島津綱貴が藩主に 島津綱貴
1704年 島津綱貴が死没
子の島津吉貴が藩主に 島津吉貴
1721年 島津吉貴が病により隠居
子の島津継豊が藩主に 島津継豊
1738年 藩主が子がないまま死去した場合にそなえ、一門家を設置(越前島津家、今和泉島津家、垂水島津家、加治木島津家)
1746年 島津継豊が隠居
子の島津宗信が藩主に 島津宗信
1749年 島津宗信が死没 島津宗信
弟で加治木島津家を継いでいた島津重年(久門)が藩主に 島津重年
幕命による木曾三川の治水工事に参加(宝暦治水)
1755年 島津重年が死没
子の島津重豪が藩主に 島津重豪
1760年 祖父の島津継豊が死没
1771年 藩校、造士館を創設
1773年 天体や暦の研究のため天文館(明時館)を創設
1774年 医学院を創設
1787年 島津重豪が隠居
子の島津斉宣が藩主に 島津斉宣
1805年 亀鶴問答を著し、藩政改革方針を示す
1808年 藩財政の悪化などからお家騒動が勃発(近思録崩れ)
1809年 近思録崩れの責任を負って島津斉宣が隠居
子の島津斉興が藩主に 島津斉興
1833年 祖父の島津重豪が死没
調所広郷の重用などによる藩政改革が始まる
1848年 密貿易を幕府から咎められ、調所広郷が自害(推定)
1849年 後継ぎ争いが勃発(お由羅騒動)
1851年 幕府の調停により島津斉興が隠居
子の島津斉彬が藩主に 島津斉彬
富国強兵策
洋式造船、反射炉や溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などを開始
アメリカから帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)を保護、藩士に造船法学ばせる
1854年 藩船、いろは丸を造船
西洋式軍艦、昇平丸を造船
国産蒸気船、雲行丸を造船
西郷隆盛が台頭
島津斉彬、幕府に対し公武合体による武備開国を主張、幕政改革についても訴える
1858年 井伊直弼大老
将軍継嗣問題では一橋派として、南紀派の井伊直弼と対立
安政の大獄により、一橋派は劣勢となり、南紀派の推す徳川慶福が将軍に(徳川家茂)
これに抗議しようと、藩兵5千を率いて上洛を決めた島津斉彬が、急死
斉彬の遺言により、弟、島津久光の子、島津忠義(茂久)が藩主に 島津忠義    
1859年 島津忠義の後見、島津斉興が死没
忠義の父、島津久光が国父として政権を掌握
小松帯刀や精忠組の大久保利通らが台頭
1860年 桜田門外の変で、井伊直弼が暗殺される  
1862年 島津久光、西郷隆盛を島流し処分に
島津久光、公武合体のために兵を率いて上京
過激尊皇派の薩摩藩士を粛清(寺田屋事件)
島津久光、朝廷に働きかけ、幕政改革のための勅使派遣を実現、江戸に赴き一橋慶喜の将軍後見職就任などを成功させる
生麦事件
1863年 薩英戦争   
会津藩とともに朝廷の後ろ盾を得て、過激尊攘派の先鋒である長州藩を京都から追う(八月十八日の政変
島津久光の建議により、一橋慶喜、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城、松平容保(京都守護職)が朝議参預に
1864年 横浜鎖港問題をきっかけに、薩摩藩は一橋慶喜と対立するように
西郷隆盛が赦免される
禁門の変
第一次長州征伐
1866年 薩長同盟
1867年 四侯会議
薩土密約
  朝廷より討幕の密勅を受ける  
大政奉還
  島津忠義、藩兵3千を率いて上洛  
徳川慶喜、将軍職を返上
王政復古の大号令
1868年 戊辰戦争
1869年 戊辰戦争が終結
1871年 廃藩置県