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相良藩さがらはん
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遠江国
藩庁 相良陣屋、相良城
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立藩 1710年(宝永7年)
譜代
略歴
西暦 出来事 石高  藩主
1710年 本多忠晴が、三河国伊保藩から転封 1万5千石 本多忠晴
1715年 本多忠晴が死没
長男の本多忠直は大和国郡山藩主となり、孫の本多忠通が藩主に 1万5千石 本多忠通
1721年 本多忠通が死没
養嗣子で弟の本多忠如が藩主に 1万5千石 本多忠如
1746年 本多忠如。陸奥国泉藩へ転封
板倉勝清(寺社奉行・若年寄)が陸奥国泉藩から転封 1万5千石 板倉勝清
1747年 熊本侯細川宗孝殺害事件
1748年 板倉勝清、5千石を加増される 2万石
1749年 板倉勝清、上野国安中藩に転封
本多忠央が三河国挙母藩から転封 1万石 本多忠央
1758年 悪政により美濃国の郡上一揆を起こさせた責任から、金森頼錦が改易されると、その縁戚にあった本多忠央も連座により改易に
将軍、徳川家重の御側御用取次側衆として頭角を現していた田沼意次が藩主に 1万石 田沼意次   
1762年 田沼意次、5千石を加増される 1万5千石
1767年 田沼意次、側用人となり5千石を加増される 2万石
1769年 田沼意次、老中格となり5千石を加増される 2万5千石
1772年 田沼意次、老中となり5千石を加増される 3万石
1777年 田沼意次、7千石を加増される 3万7千石
1778年 田沼意次、相良城を築城し城主に  
1781年 田沼意次、1万石を加増される 4万7千石
1782年 天明の大飢饉  
1785年 田沼意次、1万石を加増される 5万7千石
1786年 田沼意次、失脚、老中を辞任、2万石を没収される 3万7千石
1787年 田沼意次が隠居、孫の田沼意明が家督を相続するが陸奥国下村藩に転封。これにより廃藩
(中略)
1823年 田沼意次の四男、田沼意正が藩主に復帰 1万石 田沼意正
1825年 田沼意正、側用人に
1833年 天保の大飢饉  
1834年 田沼意正、病を得、側用人を辞任
1836年 田沼意正が隠居
長男の田沼意留が藩主に 1万石 田沼意留
天保の大飢饉
1840年 田沼意留が隠居
長男の田沼意尊が藩主に 1万石 田沼意尊
1854年 安政東海地震   
1861年 田沼意尊、若年寄に
1864年 田沼意尊、幕府軍総督として、水戸藩天狗党の乱鎮圧にあたる
1866年 田沼意尊、若年寄を解任される
1868年 田沼意尊、鳥羽・伏見の戦に幕府軍として従軍
田沼意尊、上総国小久保藩に転封。これにより廃藩