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小田原藩おだわらはん
画像
相模国
藩庁 小田原城
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立藩 1590年(天正18年)
譜代
略歴
西暦 出来事 石高 藩主
1590年 徳川家康の関東転封にともない、大久保忠世小田原城主に(初代小田原藩主) 4万5千石 大久保忠世 
1594年 大久保忠世が死没  
1594年 大久保忠隣が藩主に 6万5千石 大久保忠隣    
1600年 関ヶ原の戦  
1610年 大久保忠隣老中  
1611年 大久保忠隣の嫡男、大久保忠常が病没  
  落胆した大久保忠隣は、政務を怠るように  
1613年 大久保長安事件   
  大久保忠隣、キリシタン追放の命を受け上洛  
1614年 大久保忠隣、上洛中に改易  
小田原城が破却処分に  
1619年 阿部正次が上総国大多喜藩から入封 5万石 阿部正次
1623年 阿部正次、武蔵国岩槻藩へ転封  
  番城に   番城
1632年 稲葉正勝、下野国真岡藩から入封 8万5千石 稲葉正勝
1634年 稲葉正勝、死没  
  子の稲葉正則が藩主に   稲葉正則  
1640年 稲葉正則、総検地を行う  
1647年 稲葉正則、人別改を行う  
1657年 稲葉正則、老中  
1658年 稲葉正則、定免法による検地を行う  
1663年 稲葉正則、1万石を加増される 9万5千石
1666年 稲葉正則、老中主座に  
1670年 箱根用水完成  
1680年 稲葉正則、大政参与に
稲葉正則、1万5千石を加増される 11万石
将軍、徳川家綱が死没、徳川綱吉が将軍に  
1683年 稲葉正則が隠居 10万2千石
  子の稲葉正征が藩主に   稲葉正征
1685年 稲葉正征、京都所司代を免職  
1686年 稲葉正征、越後国高田藩へ転封  
老中首座の大久保忠朝、下総国佐倉藩から入封 10万3千石 大久保忠朝  
1694年 大久保忠朝、1万石を加増される 11万3千石
1698年 大久保忠朝が隠居  
  子の大久保忠増が藩主に   大久保忠増    
1703年 元禄大地震   
1705年 大久保忠増、老中  
1707年 宝永地震   
  富士山が噴火(宝永噴火)  
1713年 大久保忠増、死没 10万7千石
1732年 大久保忠方が、死没   大久保忠方
  子の大久保忠興が藩主に   大久保忠興
1760年 大久保忠興、郷中条目を制定
1763年 大久保忠興、隠居    
子の大久保忠由が藩主に 大久保忠由
1764年 大久保忠由、倹約令を発布
1769年 大久保忠由、死没
   子の大久保忠顕が藩主に   大久保忠顕
1782年 天明の大飢饉
1796年 大久保忠顕、死没
  子の大久保忠真が藩主に   大久保忠真
1833年 天保の大飢饉  
1836年 大久保忠真、藩財政窮乏対策に、二宮尊徳を重用
1837年 大久保忠真、死没
  子の大久保忠愨が藩主に   大久保忠愨
  モリソン号事件  
重臣の反発を受けて二宮尊徳が失脚、藩政改革が頓挫
1853年  ペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航  
1854年  下田踏海  
  安政東海地震  
1855年  安政江戸地震  
1859年 大久保忠愨、死没
  養嗣子の大久保忠札が藩主に   久保忠札
1863年 大久保忠札、奏者番に
1864年 大久保忠札、将軍、徳川家茂の上洛に随行
1867年 大久保忠札、甲府城代を兼務
1868年 戊辰戦争が始まると、大久保忠札ははじめ官軍につくが、官軍が不利となると旧幕府軍につく
大久保忠札、蟄居処分を受ける
  養子の大久保忠良が藩主に 7万5千石 大久保忠良
1869年 版籍奉還
大久保忠良、小田原藩知事に
1871年 廃藩置県