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松江藩まつえはん
画像
出雲国
藩庁 月山富田城
松江城
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立藩 1600年(慶長5年)
外様・親藩
略歴
西暦 出来事 石高・領地  藩主
1600年 堀尾忠氏、出雲国隠岐国を拝領し、月山富田城主に 24万石 堀尾忠氏
1604年 堀尾忠氏が死没
子の堀尾忠晴が5歳にして藩主に 堀尾忠晴 
祖父の堀尾吉晴が事実上の藩主に
1607年 不便な月山富田城に替わる居城として松江城の築城を開始
1611年 堀尾吉晴が死没
  松江城が完成  
1633年 堀尾忠晴が死没
嗣子がなかったため堀尾家は改易
1634年 若狭国小浜藩から、京極忠高が転封 26万石 京極忠高
1637年 京極忠高が死没
嗣子がなかったたが、甥の京極高和が播磨国龍野藩6万石を拝領
1638年 信濃国松本藩から、松平直政が転封 20万石 松平直政
1666年 松平直政が死没
子の松平綱隆が藩主に 松平綱隆
弟の松平近栄に1万石を分知(広瀬藩)、また弟の松平隆政に1万石を分(母里藩) 18.6万石
1675年 松平綱隆が死没
子の松平綱近が藩主に 松平綱近
1701年 弟の松平近憲に1万石を分知(松江新田藩) 17.6万石
1704年 松平綱近が隠居
養嗣子となってい弟で松江新田藩主の松平近憲(松平吉透)が藩主に 18.6万石 松平吉透
1705年 松平吉透が死没
子の松平宣維が藩主に 松平宣維
その後、松平宣維は藩政改革を行う
1731年 松平宣維が死没
松平宗衍が3歳にして藩主に 松平宗衍
藩政が家老による合議制に
享保の大飢饉
1747年 合議制を廃止
松平宗衍、親政を開始(御趣向の改革)
1767年 松平宗衍が藩財政破綻の責任をとり隠居
子の松平治郷が藩主に 松平治郷
松平治郷、家老の朝日茂保を登用し藩政改革を行う
1778年頃 藩政改革が成功
松平治郷の散財(茶器購入など)により、再び財政が悪化
1806年 松平治郷が隠居
子の松平斉恒が藩主に 松平斉恒
1822年 松平治郷が死没
子の松平斉斎が8歳にして藩主に 松平斉斎
1833年 天保の大飢饉
1853年 藩財政の悪化により、松平斉斎が家臣から強制的に隠居させられる(主君押込)
婿養子の松平定安(津山藩主、松平斉孝の七男)が藩主に 松平定安    
1862年 西洋学校を創設
軍艦、八雲丸をアメリカから購入
フランス人を招聘し、砲術や医術を導入
1866年 女学校を創設
  第二次長州征伐では、長州藩に敗北して追われた石見国浜田藩主、松平武聰を保護  
1867年 長州軍の進攻を受け、幕府に無断で長州藩と講和   
  大政奉還  
1868年 隠岐国における徴兵などにより一揆が発生(隠岐騒動)
  戊辰戦争では、新政府軍につく  
八雲丸が能登沖で座礁、沈没
1871年 廃藩置県