松の廊下で刃傷に及んだ赤穂藩主
浅野長矩あさの ながのり
画像
誕生 1667年9月28日(寛文7年8月11日)
生誕地 武蔵国 江戸 鉄砲洲
先祖など 浅野長政(高祖父・和歌山城主)、浅野長重(曾祖父)、浅野長直(祖父・初代赤穂藩主)
浅野長友(二代赤穂藩主)
波知(内藤忠政の娘)
犬千代(幼名)、又一郎、又市郎、長矩、梅谷、浅野内匠頭(通称)
官名 従五位下、内匠頭
藩職 播磨国 赤穂藩主
幕職 神田橋御番、朝鮮通信使饗応役、勅使饗応役、本所材木蔵火番、桜田門御番
近親など 弟:浅野長広(大学)
正室:阿久里(瑶泉院・浅野長治の娘)
実子:なし
養子:浅野長広(大学)
ゆかりの地 GOOGLE MAP 播磨国 赤穂城
GOOGLE MAP 武蔵国 江戸城
GOOGLE MAP 武蔵国 終焉の地(一関藩、田村家上屋敷跡)
略歴
●江戸屋敷
1667年 1歳 播磨国赤穂藩の次期藩主、浅野長友の嫡男として、江戸鉄砲洲の浅野家上屋敷にて生まれる
1671年 5歳 祖父、浅野長直が隠居、父が赤穂藩主に
1673年 7歳 母、波知が死没
●家督
1675年 9歳 父が死没、家督を相続
将軍、徳川家綱に拝謁
1680年 14歳 従五位下、内匠頭に
1681年 15歳 神田橋御番に
兵学者、山鹿素行に弟子入り
1682年 16歳 朝鮮通信使饗応役となり、伊豆国三島で朝鮮通信使を饗応
    ●吉良上野介との接点
1683年 17歳 霊元天皇の勅使、花山院定誠、千種有能の饗応役に
高家肝煎筆頭で、饗応役指南の吉良義央に従い、勅使を饗応
浅野長治の娘、阿久里と結婚
●国入り
領国、赤穂に入り、家老の大石良雄(内蔵助)らと対面
1685年 19歳 師、山鹿素行が死没
1691年 25歳 本所材木蔵火番に
1693年 27歳 備中松山藩の水谷家改易の際、備中松山城の請取役を務める
家老の大石良雄(内蔵助)を備中松山城の城番として入城させる
1694年 28歳 子がなかったことから、弟の浅野長広(大学)を養子に
1696年 30歳 疱瘡により、一時危篤状態となるが、半年後に完治
本所材木蔵火番に
1698年 32歳 再び神田橋御番に
1700年 34歳 桜田門御番に
1701年 35歳 再び勅使饗応役に
東山天皇の勅使、柳原資廉、高野保春と霊元上皇の院使、清閑寺熈定の江戸入りに際し、饗応
●殿中刃傷(赤穂事件・松の廊下事件)
勅答の儀(将軍が勅使に対して奉答を行う儀式)当日、江戸城松大廊下にて吉良義央に対し刃傷に及ぶ(理由は不詳)が殺害には至らず、取り押さえられる
一関藩主、田村家預かり処分が決定され、芝愛宕下の田村家上屋敷に護送される
事件に激怒した将軍、徳川綱吉の裁定により、浅野家の取り潰しと、長矩の即日切腹が決定
検使役の庄田安利(大目付)、多門重共(目付)、大久保忠鎮(目付)立ち合いの元、屋敷の庭先にて切腹
死没 1701年4月21日(元禄14年3月14日) (享年35歳)
レクイエム 刃傷に至ったのは、勅使饗応の準備を共に行っていた際に何らかの事件または軋轢が生じ、、その怨恨が原因というのは間違いようだが、詳細はわかっていない。

改易となった浅野家の家臣たち(赤穂浪士)は、1年9か月後の元禄15年12月14日、吉良義央邸に討ち入り主君の無念を晴らすことになる。(赤穂事件)