伊予守護、河野氏の丸い平山城
湯築城ゆづきじょう
場所 愛媛県松山市道後町
旧国郡名 伊予国、温泉郡
別名  
種別 平山城
築城時期 14世紀前半
築城背景 伊予国守護の河野氏が、居城とすべく築城。(推定)
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 河野通直(先代・弾正少弼)、河野通直、河野晴通、小早川隆景福島正則
天守 なし
主な遺構 土塁、堀
主な再建物 武家屋敷(模擬)
交通 伊予鉄城南線 道後公園駅 徒歩約10分
駐車場 湯築城資料館の有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

内堀とその外側の土塁

本丸

本丸跡の展望台から望む
松山城と松山市街

搦手跡
 
構成 伊予国北西、道後(松山)平野にある小山に築かれた平山城。

山頂部の本壇あとが本丸として機能し、北側の平坦部に河野氏の居館があったと推定されている。

麓をほぼ円形に2重の堀と土塁が囲み、大手は東、搦手は西に開かれた。
内堀と外堀の間に家臣の屋敷が立ち並んでいた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 道後公園となっており、堀や土塁が残っている。
本壇には松山市街を見渡せる展望台が建てられているほか、麓には武家屋敷が再現されている。
略歴
1340年頃 河野氏が築城。
(中略)
1564年 河野通直、来島村上水軍率いる、村上通康の子として生まれる。
1568年 河野通直、4歳で城主に。
1573年 菅田城主の大野直之が離反し長宗我部元親と通じるなど、河野家の弱体化が進む。
1585年 豊臣秀吉四国攻め小早川隆景に攻められ降伏。河野家が滅亡。
伊予国を拝領した小早川隆景の支配下に。
1587年 福島正則の支配下に。
廃城。