三河東部の要衝に築かれた平城
吉田城よしだじょう
場所 愛知県豊橋市今橋町3
旧国郡名 三河国 渥美郡
別名 今橋城
種別 平城
築城時期 1505年(永正2年)
築城背景 駿河国今川家の被官で三河国一色城主の牧野古白(成時)が、渥美郡平定の拠点として築城し、今橋城と名づけられた。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 牧野古白(成時)、松平家、戸田家、今川家、酒井忠次池田輝政、松平家
天守 なし
主な遺構 石垣、堀跡
主な再建物 模擬3重櫓
交通 JR東海道線 豊橋駅 徒歩約15分
駐車場 無料駐車場あり
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

模擬櫓(鉄櫓=くろがねやぐら)と
大イスノキ(左側の木)

模擬櫓から望む、豊川と吉田大橋

本丸虎口と石垣

二の丸から本丸への冠木門跡
構成 東海道沿い、豊川と朝倉川の合流地点の平地に築かれた平城。

川沿いの本丸は高石垣で囲み、四隅には鉄隅、千貫隅、入道隅、辰巳隅を、さらに川手櫓を川に近い場所に築いた。

本丸の北には腰曲輪を、東には金柑櫓と呼ばれる腰曲輪を置いたが、築城当時の本丸はこの辺りだったと推定されている。

本丸の西、南、東は本丸堀(内堀)で囲み、本丸の南側から西側にかかえて二の丸が広がり、二の丸御殿、着到櫓、評定櫓、雷櫓などが建てられた。

さらに二の丸の周囲、二の丸堀を隔てた東側、南側、西側に三の丸が広がる、という半輪郭式の縄張りであった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸や二の丸の大部分は豊橋公園となっており、本丸には3重の鉄櫓が再建(模擬)されているほか、石垣や虎口などの遺構も良く保存されている。

本丸堀は空堀化しており、二の丸の堀は埋め立てられてしまっている。

三の丸は市役所、学校、美術館などが建てられ市街化している。
略歴
1505年 駿河国の今川家の被官、牧野古白(成時)が築城し、今橋城と呼ばれる
1506年 戸田宗光との戦で、城主、牧野古白が討ち死に
戸田家の属城に
1508年 戸田宗光が死没
1519年 牧野成三が城主に
1532年 三河国西部から進出してきた松平清康が、戸田家を支配下に入れ属城に
1535年 森山崩れで、松平清康が死没
1536年 今川家の属城に。城代は大橋和尚
1537年 牧野家を追った戸田宣成が城主に
1546年 今川家の侵攻により、戸田氏が退城、伊東元実、その後大原鎮実(資良)が城主に
その後、城下町が整備される
1560年 桶狭間の戦で、尾張国に進出した今川義元が討ち死に
これにより、三河国の国人たちの離反が相次ぐ
1565年 松平(徳川)家康に包囲され降伏、開城
家康の家臣、酒井忠次が城主に
1572年 三方ヶ原の戦
1575年 長篠の戦
1584年 小牧・長久手の戦
1588年 酒井忠次が隠居し、子の酒井家次が城主に
1590年 徳川家の関東移封により、池田輝政が城主に。(15万石)
その後、城下町の改修や吉田大橋の架け替えなどが行われる
1601年 池田輝政播磨国52万石へ転封に
松平家清が城主となり、初代三河吉田藩主に。(3万石)
1610年 松平家清が死没し、子の松平忠清が城主に
1612年 松平忠清が死没。嗣子がなく断絶
松平忠利が城主に
(後略)