西伯耆と中海を扼する平山城
米子城よなごじょう
場所 鳥取県米子市久米町
旧国郡名 伯耆国 汗入郡
別名 久米城、湊山城
種別 平山城
築城時期 1470年頃(文明2年頃)
築城背景 応仁の乱前後、伯耆国の山名宗之が出雲国の京極氏に対して築いたと推定。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 山名家、尼子家、福頼元秀、古曳吉種、吉川広家、中村一忠、加藤貞泰、池田家
天守 4重5階天守(非現存)
主な遺構 天守台、石垣、移築長屋門
交通 JR山陰本線 米子駅 徒歩約20分
駐車場 湊山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

天守台の石垣

天守台の石垣

本丸から見下ろす中海

本丸から望む内膳丸と米子市街

内膳丸
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構成 伯耆国北西部、出雲国との国境近く、中海の東の標高90mの湊山に築かれた平山城。

山頂の本丸は総石垣造りで、4重5階天守や4階櫓が並んでいた。
北側のピークである丸山には内膳丸と呼ばれた2段の出丸が置かれ、その北側の段下に高石垣造りの二の丸、内堀をはさんで三の丸が配された梯郭式の縄張り。

さらに、大手門を挟んだ東にあるピークが飯山で、3段の采女郭が配され、これも高石垣造りであった。

城域の南側、中海が入り込んだ深浦に面して御船手郭が置かれ、水軍の基地として利用された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は城址として整備されており、本丸までは10〜15分の軽いハイキング感覚で登っていける。
各曲輪や天守台、本丸の総石垣がしっかり残っており、本丸からの眺望も見事。

二の丸はテニスコートなどとなっているが、外郭にあった武家屋敷の長屋門が移築されている。

内堀は埋め立てられて道路となっている。

三の丸は野球場や鳥取大学病院などとなっている。
略歴
1470年頃 伯耆国の山名宗之が、飯山に砦を築く。(飯山砦)
1513年頃 出雲国尼子氏の攻勢が強まる。
1524年 尼子経久に攻められ降伏、尼子氏の支配下に。
1562年 毛利両川の吉川元春に攻められ降伏、毛利氏の支配下となり、吉川元春の家臣、福頼元秀が城主に。
1581年 吉川元春の家臣、古曳吉種が城主に。
1582年 毛利氏、羽柴(豊臣)秀吉に臣従。
1586年 吉川元春が死没。子の吉川元長が家督を相続。
1587年 吉川元長が病死し、弟の吉川経信(広家)が家督を継ぎ、吉川広家と改名。
1591年 城主、古曳吉種、湊山に近世城郭jを築城開始。(米子城)
1592年 古曳吉種、吉川広家に従い文禄の役(第一次朝鮮出兵)に参陣するが戦死。
1600年 関ヶ原の戦後、毛利氏は周防国長門国、計29万石に大幅減封となる。
替わって中村一忠が伯耆国17万5千石を拝領し、尾高城主に。(初代米子藩主)
1602年 中村一忠、米子城を居城に。
1603年 城主、中村一忠が家老の横田内膳を誅殺したことからお家騒動が勃発。
(米子騒動)
1609年 中村一忠、病死。嗣子がいなかったため、中村家は改易に。
1610年 加藤貞泰が城主に。(6万石)
1615年 一国一城令が発令されるが、米子城は破却を免れる。
1617年 池田由之が城主に。(3万2千石)
(後略)