高天神城の武田家に対して家康が築いた
横須賀城よこすかじょう
場所 静岡県掛川市横須賀5383付近
旧国郡名 遠江国 城飼郡
別名 松尾城、両頭城
種別 平山城
築城時期 1578年(天正6年)
築城背景 甲斐国を継いだ武田勝頼に攻略された高天神城への抑えのために、徳川家康が大須賀康高に命じて築城させた
名城 私の500名城
主な城主 大須賀康高、大須賀忠政、横瀬(渡瀬)繁詮、有馬豊氏、大須賀忠政、大須賀(榊原)忠次
天守 3重4階
主な遺構 天守台、玉石垣(一部)、堀、土塁、門、番所
主な再建物 玉石垣
交通 JR東海道線 袋井駅 約15km
駐車場 城跡公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

横須賀城

本丸にある天守台

本丸南下門跡の玉石垣

三日月池

撰要寺に残る不開門
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構成 遠州灘から深く入り込んだ入江そばの小山、松雄山に築かれた平山城。

城域は東西に長く、天守台のある本丸、その西に西の丸、北には北の丸、その北側にある松雄山(曲輪)までを主郭とした。

主郭の西に二の丸、東に三の丸を配し、北、西、南を外堀が取り囲んだ。
外堀と入江の間の細長い部分は中土居道と呼ばれた。

城域の南から西、さらには北にかけて、遠州灘から深く入り込んだ入江があり船着場も造られていたが、宝永4年(1707年)の大地震による地盤隆起のため陸地となった。

大手は、三の丸の南の東大手、二の丸の西側の西大手の二箇所に開かれた。

本丸の天守台には、3重4階の天守が建てられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸部分は横須賀城跡公園として整備されており、再建された玉石垣上の曲輪などが見られる。

二の丸、三の丸、南外堀は住宅地となっている。また、地震で陸地と化した入り江なども住宅地などとなっている。
中土居道は県道41号線となっている。

二の丸の西端の撰要寺に、不開門が現存している。大須賀支所北側に、番所が移築され現存している。
略歴
1578年 武田勝頼に攻略された高天神城への抑えのために、徳川家康が大須賀康高に命じて築城させる
1582年 武田家滅亡(天目山の戦
1589年 大須賀康高が死没
養子の大須賀忠政が城主に
1590年 大須賀忠政が、上総国久留里へ転封(3万石)
横瀬(渡瀬)繁詮が城主に。(3万石)
1595年 渡瀬繁詮、秀次事件に連座し自害
繁詮の家老、有馬豊氏が城主に。(3万石)
1600年 有馬豊氏丹波国福知山に加増の上、転封。(6万石)
再び、大須賀忠政が城主となり、横須賀藩の初代藩主に。(6万石)
1607年 大須賀忠政が死没
子の大須賀忠次が、3歳で城主に
1615年 大須賀忠次が、伯父で上野国館林藩主の榊原康勝の養子となり、家督を相続。(10万石)
これにより駿河藩主、徳川頼宣の支配下に
(中略)
1871年 廃藩置県により、廃城