今川家の侵攻を受け真っ赤に焼け落ちた
横地城よこちじょう
場所 菊川市東横地3509付近(登城口)
旧国郡名 遠江国 城飼郡
別名 金寿城(きんす)
種別 山城
築城時期 1350年頃?(室町時代初期)
築城背景 横地の国人、横地家長が築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 横地家長、横地長豊、横地長秦、横地長秀、横地秀国
天守 なし
主な遺構 堀切、土塁、井戸
主な再建物  
交通 JR東海道線 菊川駅 約6.5km
駐車場 横地神社そばの駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

本丸を取り巻く段曲輪群

本丸

金玉落とし(訓練)が行われた膝つき谷

麓の上池と横地城
構成 遠江国東南、牧之原台地の西の横地にある標高約100mの山塊に築かれた山城。

山頂部の東城(本丸)、中城、西城(二の丸)を持ち、中城と西城の間の広い平地は千畳敷と呼ばれた。

本丸は西側三段、北側数段の段曲輪を持つ構成となっており、北へ伸びる尾根の数か所を堀切で防備した。

二の丸は四段の曲輪で構成され、土塁や堀切で防備した。

南麓には二つの城池(上池と牛池)があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 県立の自然公園となっており、城域西に駐車場が完備されている。
ただし、二の丸下の千畳敷にも駐車スペースがある。

崖の上の本丸とそれを取り巻く段曲輪や井戸跡、金玉落としと呼ばれる訓練が行われた深い膝つき谷、両岸を切り立った崖で挟んだ細道(一騎駆け)など、見どころは多い。
略歴
1350年頃 横地の国人、横地家長が築城(推定)
(中略)
1476年 駿河国の今川義忠に攻められ7日間の攻防の末、炎上、城主、横地秀国は討ち死に。これにより、横地家は滅亡