縦横に水路を巡らせた難攻不落の堅城
柳川城やながわじょう
場所 福岡県柳川市本城町27-3付近
旧国郡名 筑後国 三瀦郡
別名 舞鶴城
種別 平城
築城時期 1501年頃(文亀元年頃)
築城背景 筑後国の有力者、蒲池治久が、本城、蒲池城の支城
名城  
主な城主 蒲池氏、鍋島直茂、龍造寺家晴、立花宗茂田中吉政、立花氏
天守 複合型5重5階天守(非現存)
主な遺構 天守台、石垣、堀
主な再建物  
交通 西日本鉄道 西鉄柳川駅 徒歩約30分
駐車場 なし
徒歩・登山 柳川中学校の東南隅
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

本丸の天守台

天守台の石段

天守台の石段
noimage
構成 筑後国西部、有明海に近い柳川の町に築かれた平城。

城域に数多くの堀を縦横に巡らせた難攻不落の名城で、本丸の南西隅の天守台には、複合型、層塔型5重5階の天守があげられた。

本丸の東に二の丸を並べて、これら主郭を内堀で囲んだが、西側には中の島が置かれるほど幅の広い内堀であった。

主郭の周囲には三の丸が、その外側には侍屋敷が広がり、無数の掘割が巡っていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭は柳川高校、柳川中学校となっており、中学校のグラウンドの隅に石垣や天守台がわずかに残るだけ。

柳川は、総延長60kmに及ぶ掘割が残る水郷の町として知られ、川下りの舟が行きかう。
略歴
1501年頃 蒲池治久が築城し、蒲池城の支城に
  (中略)
1543年 蒲池城主、蒲池治久、将軍上洛のお供をしなかったことから、主家の大友氏により成敗される
  後を継いだ蒲池鑑盛(宗雪)が城主に
1559年 蒲池鑑盛(宗雪)、柳川城を大改修し居城に
1561年頃 蒲池鑑盛(宗雪)は隠居し、蒲池鎮漣が城主に
1578年 耳川の戦の直前、城主の蒲池鎮漣は大友氏からの離反を決めていたことから柳川城へ戻っていたが、父の蒲池鑑盛(宗雪)が戦死
  その後、蒲池鎮漣は大友氏から離反し龍造寺隆信に接近
  その後、龍造寺隆信が柳川を支配を志すようになったことから敵対関係となり、蒲池鎮漣薩摩国の島津氏と結ぶことを目論む
1581年 龍造寺隆信鍋島直茂の2万に攻められるが守りきる。(柳川の戦)
  蒲池鎮漣龍造寺隆信の謀略により殺害され、蒲池氏は滅亡
  鍋島直茂が城主に
1584年 沖田畷の戦龍造寺隆信が戦死したため、鍋島直茂は佐賀へ戻る
  龍造寺家晴が城主に
  その後、大友氏の部将、立花道雪により攻められるが守り切る
1587年 豊臣秀吉九州攻め後、龍造寺氏は筑後国を没収される
  立花宗茂が城主に(13万石)
1600年 関ヶ原の戦の際、鍋島直茂らに攻められ降伏、開城
  田中吉政筑後国一国を拝領し柳川城主に(32万5千石)
1609年 田中吉政が死没、子の田中忠政が城主に
1620年 田中忠政、後継ぎのないまま死没、田中氏は改易に
再び立花宗茂が城主に(10万石)
(後略)