秀吉の弟秀長の100万石の主城
大和郡山城やまとこおりやまじょう
場所 奈良県大和郡山市城内町
旧国郡名 大和国 添下郡
別名 郡山城、犬伏城
種別 平山城
築城時期 1580年(天正8年)
築城背景 大和国一国を拝領した筒井順慶が、織田信長の一国破城(一国一城令)に従い、それまでの筒井城に代わる居城とすべく築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 筒井順慶筒井定次豊臣秀長、豊臣秀保、増田長盛、水野勝成、柳沢氏
天守 5重8階天守(非現存)
主な遺構 天守台、石垣、堀
主な再建物 復元東隅櫓、復元向櫓、再建門
交通 近鉄橿原線 近鉄郡山駅 徒歩約8分
駐車場 近鉄郡山駅そばの有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜7分歩く〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩7分

本丸の石垣とその上の天守台の石垣

野面積みの本丸石垣

本丸から見おろす内堀と
毘沙門曲輪の石垣

追手向櫓と追手門
構成 奈良の南西約5km、郡山に築かれた平山城。

周囲より一段高い場所に石垣造り(野面積み)の本丸を置き、本丸の北西隅に、やはり石垣による天守台があり、5重8階の豪華な天守が築かれた。

本丸の周囲は内堀がめぐり、東にはやはり石垣造りの毘沙門曲輪、その北側に玄武曲輪を置いた輪郭式の縄張りだった。

玄武曲輪には、追手東隅櫓と連結した追手門(大手門)があり、それを守る向い櫓が隣の毘沙門曲輪に築かれていた。

これら主郭の周囲にも掘をめぐらせて、掘とその東側の五軒屋敷掘との間が二の丸だった。
二の丸の端には鉄門があり、これが三の丸から主郭や二の丸へ入る門だった。

三の丸は五軒屋敷掘のさらに東側から南側一帯に広がっていた。

増田長盛の時代に総延長5kmに及ぶ総構えが築かれ、城下町を取り込んだ広大な城域が誕生した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 現在は郡山城跡公園となっており、天守は現存していないが、追手門、追手東隅櫓、向い櫓などが再建されている。

天守台に下には、石垣の一部に使用された、さかさ地蔵が祭られている。

また本丸には、江戸時代郡山藩主を歴任した柳澤氏にゆかりの、柳澤神社がある。

野面積みの石垣群は見事に残っている。
略歴
1580年 大和国一国を拝領した筒井順慶が築城し、それまでの筒井城から移り、居城に
1582年 本能寺の変が起こると、城主筒井順慶明智光秀を裏切り籠城
1584年 筒井順慶が病没し、養子の筒井定次が城主に
1585年 筒井定次が伊賀国上野に転封
大和国紀伊国和泉国合計100万石の領主となった豊臣秀長が城主に
その後、大拡張
1591年 豊臣秀長が死没。養子の豊臣秀保が城主に
1595年 豊臣秀保が十津川で変死し、断絶
増田長盛が、郡山22万3千石を拝領し城主に
総構えを構築
1600年 関ヶ原の戦後、増田長盛が高野山へ流される
遺構の多くが、大坂城へ移築される
その後、大久保長安が城番に
1615年 大坂夏の陣後、戦功により水野勝成が郡山藩主(6万石)となり、城主に
(後略)