山入一揆を起こした佐竹一族の山城
山入城やまいりじょう
場所 茨城県常陸太田市国安町108付近
旧国郡名 常陸国 久慈郡
別名 国安城
種別 山城
築城時期 1336年頃(延元年間)
築城背景 西野民部大夫温通が築城
名城 私の500名城
主な城主 西野温通、佐竹(山入)師義、佐竹家
天守  
主な遺構 堀切、土塁、土橋、櫓台
主な再建物  
交通 JR水郡線 常陸太田駅 約13km
駐車場 主郭の下の駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

山入城のある要害山

主郭下の堀切と土橋

詰の城(本丸)の櫓台(物見台)
 

櫓台(物見台から詰の城(本丸)を
見下ろす
構成 常陸国北部の久慈郡、山田川が麓を流れる標高191mの要害山に築かれた山城。

山頂部に物見櫓が建てられていたと推定される詰の城を置き、その段下にいくつかの曲輪を配した梯郭式。

詰の城の下には堀切で隔てて西曲輪が置かれ、その段下が城主の館などが建てられた本城(本丸)であった。

詰の城から北へ向かう尾根には北曲輪が、さらにその東の尾根には東曲輪が置かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、詰の城の下の西曲輪まで車で登って行ける。西曲輪には説明版が建てられており、そこから5分ほど登れば詰の城で、途中に小さな堀切と土橋が残っている。

詰の城や物見台からの眺望は良い。
略歴
1336年頃 西野温通が築城
その後、守護佐竹貞義の七男、佐竹師義が城主となり山入氏を名乗る
(中略)
1407年 城主、山入与義、佐竹本家の養子相続問題が原因で本家と対立(山入一揆)
1408年 ともに本家に敵対していた長倉家の長倉城が開城、降伏。これにより山入与義も蟄居処分に
1416年 上杉禅宗の乱では、本家の佐竹義憲が鎌倉公方の足利持氏を支持したものの、山入与義は上杉禅宗を支持したため、再び本家と対立
1417年 上杉禅宗が公方勢に敗北(上杉禅宗の乱の終結)
1418年 佐竹本家勢に攻められ落城
(中略)
1490年 山入義藤、氏義父子、本家の佐竹義舜が若年であることに付け入り敵対、太田城を攻めて接収に成功
1492年 山入義藤が死没、氏義が城主に
1502年 山入氏義、佐竹義舜が入城していた金砂城を攻めるが逆襲にあい敗北
1504年 岩城家の支援を受けた佐竹義舜に太田城を攻め落とされ、山入氏義は捕らえられ斬殺される
その後も太田城の支城として機能
(中略)
1602年 佐竹家の羽後国転封により廃城