出羽57万石、最上義光の本城
山形城やまがたじょう
場所 山形県山形市霞城町
旧国郡名 出羽国羽前 村上郡
別名 霞城(かじょう)、吉字城
種別 平城
築城時期 1356年(延文元年/正平11年)
築城背景 室町幕府の羽州探題となった斯波兼頼が、居城とすべく築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 斯波家、最上義光、鳥居忠政
天守 天守に相当する三階櫓(非現存)
主な遺構 石垣、土塁、堀、移築門
主な再建物 二の丸東大手門、大手橋
交通 山形新幹線 山形駅 徒歩約10分
駐車場 野球場や体育館の無料駐車場
徒歩・登山 野球場横の駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

二の丸東大手門

最上義光像と二の丸東大手門櫓

南門

本丸一文字門の枡形(復元)と大手橋(復元)
構成 蔵王山の北西に広がる村上盆地南部の平地に築かれた、奥羽地方最大の城郭。

櫓を七つ置いた本丸や、その周囲に配された二の丸、さらにその外側の広大な三の丸から構成された輪郭式縄張り。

東西1.6km、南北1.9kmという広大な城下町は外濠が取り巻く惣構えで、主郭部よりも標高が高いという珍しい構成。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は霞城公園として整備されている。

二の丸を囲む堀は現存しており、本丸を囲む堀、二の丸東大手門や多聞櫓などが復元されている。

本丸御殿の復元プロジェクトも計画されている。(平成28年時点)

二の丸には、博物館や武道館などが建てられている。市営野球場のある場所も二の丸跡。
略歴
1356年 羽州探題となった斯波家が築城
斯波家がその後、最上姓を名乗る
(中略)
1515年 羽州探題で山形城主、最上義定が伊達家の攻勢を受けて臣従
1520年 最上義定、嗣子のないまま死没
1522年 中野家から入った2歳の長松丸が最上家当主に(最上義守)
1542年 伊達家の家督争い(天文の乱)が起こると、 最上義守は伊達稙宗に味方し、これにより支城の長谷堂城を奪回し、伊達家から独立
1563年 最上義守が上洛し、将軍、足利義輝に拝謁
1564年 娘、義姫を稙宗の嫡男、伊達輝宗に嫁がせる
1567年 義姫が、長男を出産(伊達政宗
1571年 最上義守、嫡男の最上義光に家督を譲る
1575年 最上義光、敵対していた弟の中野義時を討つ 
1582年 最上義光、敵対する最上八楯の弱体化に成功
1588年 伊達政宗大崎義隆を攻めると、最上義光は大崎家への援軍を派遣し伊達軍に勝利。その後、妹義姫の取り成しで伊達家と和睦(大崎合戦)
1592年頃〜 最上義光が山形城を大修築
1600年 関ヶ原の戦の際、最上義光は東軍についたことから、上杉家の家老、直江兼続の侵攻を受けるが、東軍勝利の報により上杉勢は撤退(長谷堂城の戦)。これにより出羽国52万石の太守となる
1622年 最上義光死後にお家騒動が勃発し、最上家は改易に(最上騒動)
鳥居忠政が22万石を拝領し、山形城主に
その後、鳥居忠政が城を修築
(後略)