隅櫓が残る涌谷伊達家の居城
涌谷城わくやじょう
場所 宮城県遠田郡涌谷町涌谷下町7
旧国郡名 陸奥国陸前 遠田郡
別名 涌谷要害
種別 平山城
築城時期 不詳
築城背景 大崎家の家臣、涌谷家が居城とすべく築城
名城 私の500名城
主な城主 涌谷家、木村家、亘理家(涌谷伊達家)、
天守 なし
主な遺構 隅櫓(太鼓堂)、空堀、石垣
主な再建物 模擬天守
交通 奥の細道湯けむりライン 有備館駅 徒歩約15分
駐車場 本丸の有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登1分〜模擬天守
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

模擬天守と現存隅櫓(太鼓堂)

模擬天守

本丸跡に建つ涌谷神社

伊達宗重(通称、伊達安芸)の胸像
構成 陸奥国陸前北部、箟岳(ののだけ)丘陵と江合川の間にある、比高約20mの舌状台地に築かれた平山城。

台地は北西から南東に細長く伸び、舌の付け根にあたる部分に本丸が置かれ当主の館が建てられていた。北側に空堀が穿たれ、南には物見の松があった。
縄張図
または
現地
案内図
noimage
現状 本丸跡は涌谷神社や城山公園となっており、北側の一部に空堀が残っている。

本丸の東南の石垣の上には3重の模擬天守が建てられており、その横に隅櫓(太鼓堂)が現存している。
略歴
????年 涌谷家が築城
(中略)
1590年 奥州仕置により、主筋の大崎家とともに滅亡。豊臣秀吉の家臣で岩出山城主となった木村父子の支配下に
葛西・大崎一揆が起こり、木村父子が失脚
1591年 葛西・大崎一揆の主犯と疑われ、米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など58万石に減封となった伊達政宗の支配下となり、亘理重宗が城主に(約9千石)
1600年 関ヶ原の戦
1604年 亘理重宗が隠居し、子の亘理定宗が城主に
1606年 亘理重宗、伊達姓を与えられる
1614年 伊達重宗、大坂冬の陣に参陣
1615年 伊達重宗、大坂夏の陣に参陣
  (中略)
1671年 伊達騒動
  (後略)