周防の名族、陶家の山城
若山城わかやまじょう
場所 山口県周南市若山1-1(北1km)
旧国郡名 周防国 都濃郡
別名 富田若山城
種別 山城
築城時期 1470年(文明2年)
築城背景 陶弘護が、主家の大内家に謀反を起こした吉見家へ備えるため築城(異説あり)
名城 私の500名城
主な城主 陶弘護、陶政弘、陶弘詮、陶武護、陶興明、陶興房、陶晴賢
天守 不明
主な遺構 石垣、竪堀、堀切
主な再建物  
交通 JR山陽本線 福川駅 徒歩約50分
駐車場 二の丸の無料駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度

アクセス

歩3分

本丸

竪堀 

城址から瀬戸内海を望む
(中央は黒髪島)
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構成 周防国の中央南部、瀬戸内海から1里弱の若山に築かれた連郭式の山城。

標高217mの山頂部に本丸を置き、西に伸びる尾根に西の丸、藪屋敷曲輪を、東南に向かって伸びる尾根に二の丸、三の丸を置いた。

本丸の北側斜面には、畝上の空堀を何本も連ね防備した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、二の丸まで車で上がることができる。

瀬戸内海に近く眺望が良く、ハイキング客も多い。

本丸には石槍神社が祀られている。
略歴
1470年 陶弘護が築城し居城に
(中略)
1539年 陶隆房(晴賢)、父の死により家督を相続し城主に
1540年 吉田郡山城の戦
1542年 第一次月山富田城の戦で、主家、大内家が敗北
その後陶隆房(晴賢)は、主君大内義隆に不満を持つように
1551年 陶隆房(晴賢)、主君大内義隆に謀反を起こし、深川大寧寺に追い詰め自害させる。(大寧寺の変)
1552年 陶隆房(晴賢)大内義隆の養子、大内義長(大友宗麟の弟)を大内家の当主に擁立し、大内家での実権を握る。
1553年 陶隆房(晴賢)、敵対した石見国津和野三本松城主の吉見正頼攻めに出陣
1554年 陶隆房(晴賢)に対し、安芸国吉田郡山城主の毛利元就が敵対
毛利元就の謀略により、参謀の江良房栄を殺害。これにより兵力が大幅に低下
陶隆房(晴賢)、折敷畑の戦で毛利元就に敗北
1555年 陶隆房(晴賢)毛利元就の謀略により厳島におびき出され、攻められ、自害し陶家は滅亡。(厳島の戦
廃城