千畳敷と三城からなる名和家の居城
宇土古城うとこじょう
場所 熊本県宇土市神馬町663付近
旧国郡名 肥後国 宇土郡
別名 宇土城、中世宇土城
種別 平山城
築城時期 1048年(永承3年)
築城背景 菊池一族の宇土家が築城
名城 私の500名城
主な城主 宇土家、城為冬、名和顕忠、名和武顕、名和行興、名和行憲、名和行直、名和顕孝
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁、土橋
主な再建物 復元建物、模擬木橋、掘立柱
交通 九州新幹線 宇土駅 徒歩約35分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

本丸虎口の模擬門

本丸の空堀と土橋

本丸の空堀(障子堀?)

本丸の復元建物

空堀と木橋

三城の掘立柱と土塁(奥)
構成 肥後国西部、宇土半島の根本の宇土にある独立丘陵、西岡台を利用して築かれた平山城。

本丸に相当する千畳敷と、西にある三城(さんのじょう)から構成された連郭式の縄張り。

千畳敷は周囲を切岸にして空堀を穿ち、さらには竪堀を数条設け防備した。

三城は、西に深さ7m、幅10mの空堀を設けて、並行して盛られた土塁とともに防備した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国史跡に指定され、城跡公園として整備されている。

千畳敷には建物や城門、城柵が建てられており、中世城郭の雰囲気に浸れる。

空堀は城跡公園らしくコンクリートで固められているが、発掘時の形のままコンクリートを流しているようで雰囲気を壊すものではない。

三城には発掘調査に基づく短い掘立柱が埋め込まれているほか、城の南西に300mもの長大な空堀や土塁が残る。

東約500mには、のちに小西行長が築いた宇土城がある。
略歴
1048年 菊池一族の宇土家が築城
  (中略)
1501年 城主、宇土為光、本家の菊池家から守護職を奪い取る
1503年 宇土為光、菊池能運の反撃を受け城を囲まれ、討ち死に
菊池家家臣、城為冬が城代に
1504年 菊池能運が死没したことから、城為冬が退城
城為冬の娘婿で古麓城主の名和顕忠が城主に(初代宇土名和氏)
その後、子の名和武顕が城主に
1546年 名和武顕が死没、二男の名和行興が城主に
1562年 名和行興が死没、子の名和行憲が7歳で家督し城主に
後見の座をめぐって、一門衆で豊福城主の名和行直と筆頭家老の内河忠真が対立するが、行興の遺言通り内河忠真が後見することに
1564年 宇土城の戦で内河忠真に勝利した名和行直が、名和家を相続
1571年 名和行直が死没、子の名和顕孝が城主に
1579年 名和顕孝、城家とともに島津家に接近
1587年 羽柴秀吉九州攻めが始まると、名和顕孝は降伏し豊臣勢とともに島津勢と戦う
  戦後は本領を安堵される
1588年 肥後国に国一揆が起こった際、中立を決め込んだことから城を攻められ、城主、名和顕孝が討ち死に
これにより廃城